はなすちから

スイセン

朝、東京では観測史上最も遅い初雪が降った。
東京に来てから、何度雪を見ただろうか。
通勤電車の中で、10年以上前の自分を振り返っていた。あの頃私には言葉が溢れていた。
今の私は日々言葉を失っていくような気がする。
私は私のことを話すことが出来ない。
病気で通院していること。
家事が殆ど出来なくなっていること。
夫が失業していること。
両親の介護から逃避していること。
本当は経済的に苦しいこと。
それなのに洋服を買うことで精神の安定を得ていること。
作品を作る気力が湧かないこと。
仕事に意欲を感じなくなっていること。
私の本当を話したら、みんな引いてしまう。場を汚してしまう。
何かを話すとき、自分の考えを交えて話さなくてはならない。
自分の考えは病んでいて、話せばおかしなところを気づかれてしまう。
いや、もう気づかれているかもしれない。
けれど、わざわざ傷口を広げるようなことをして自滅することは出来ない。
そうして、私は言葉を失う。感じたことを飲み込んでいく。何事にも無関心になっていく。
放たれなかった言葉は泥のようにこころの底に沈んで溜まっていく。
そうして、私は恐ろしいスピードで醜くなっていく。
毎朝、鏡を見るのが憂鬱だ。そこには認めたくない醜い私が映っているから。
こころを塞いでいる、この言葉の山を片付けなくてはいけない。
手をつけようとすると崩れ落ちそうで、何もかも失ってしまいそうで、途方に暮れてうなだれる。
もう私には、はなすちからがなくなってしまったようだ。
けれど言葉はこころに浮かぶ。誰にも伝えられずにまた自分に戻って来る。体に溜まる脂肪のように私を醜くしていく。
悲しくて、辛くて、不安で、それなのにどこへ進んでいけばよいのかわからない。
来週、夫のことで精神科に相談に行く。闇の中、ひとすじの光を求めて…。