ゆっくり考えてみる

新宿の空

今日は通院日で、会社が終わった後クリニックに行ってきました。
早めに診察が始まったのですが、結局30分位先生にお話してしまいました。
先月は2度受診してしまいました。仕事の事で耐えられなくなって、当日予約をとって主治医に対処の仕方を相談したのです。
私は精神疾患だと言うことを周囲に話していません。その事で、業務上、精神疾患を伴う症例に当たった時の周囲の反応が辛いのです。医療関係とはいえ、精神疾患の症例は面倒な事が多く、対応には苦労させられます。だから職場ではそういう症例に当たる時に様々な話が出ます。中には偏見ともとれるような話もあります。
私は話の中には入らないようにしています。そうしないと辛くて仕方がないのです。一緒に笑うことなんて、とても出来ず、逆に症例に引き込まれて具合が悪くなることがありました。
先月は主治医にそんな話をしました。
主治医は、病気である私のままでは仕事にならないので、どこかで線引きをして仕事に向き合う事が出来るといいとアドバイスをくれました。つまりは、業務中は、病気ではない自分になって仕事に当たるように仕向けることを提案したのです。
それは、割合上手くいきました。私は元々病気も隠して仕事をしているのですから、もっと完璧に嘘をつけば良いのです。健康なふりをして、精神疾患の症例も、困ったものですね、苦笑し、周囲に溶け込んでいくようにしました。
けれど、心の奥には、常にこれは自分じゃない、病気の人の痛みを感じていました。
そして展覧会の搬入となり、展覧会がはじまりました。
展覧会が出来たのは奇跡のようでした。搬入の2日前まで、吐き気、下痢、脱力感で床に転がっていました。一緒に展覧会をやるんだという気力をふりしぼっての搬入でした。
展覧会は素晴らしい体験でした。16人の作家がそれぞれの作品をその作家らしく展示し、それでいてひとつの展覧会としてのまとまりがありました。作家さんも皆個性的な素敵な方ばかりで展覧会初日の飲み会も楽しかったのです。夢のように5日間が過ぎていきました。
今回、主治医にお話したのは、展覧会が終わってからの空虚な日々についてでした。
展覧会が終わった翌日、夫は新しい職場に就職しました。仕事はある会社の広大な庭園の管理、つまり庭掃除です。今まで夫は何か作る仕事を探していました。何かあやしげなセミナーにも通っていたようでした。それも諦めてしまい、家から近い、その会社に就職してしまったのです。
私は、夫の矛盾した言動に振り回され、治療の頻度も減らしてフルタイムの仕事をしてきました。ところが、あまりにも努力無しに、安易に次の仕事を選んでいることに空しさを感じました。一方で、夫の性格にはその仕事は合っているようにも感じました。
夫が職場でどんな待遇なのか、給与はどのくらいなのか、全くわかりません。夫婦間には相変わらず会話は殆ど無く、携帯のショートメールだけでやり取りが続いているからです。ただ、仕事を始めてから、夫は明らかに寝込んだり考え込んだりいわゆる抑うつ状態から抜け出したようで、表情も明るくなってきました。
喜ばしい変化であると思いますが、私の生活には影響がありました。今まで1人でゆっくり過ごせた朝の時間が侵食され、出勤前の穏やかな時間が失われました。夫が出勤のため朝起きてくるからです。仕方がないこととはいえ、私は切迫感から更に睡眠時間が短くなり、午前3時ごろ目覚めることも多くなりました。睡眠時間の短縮は、そのまま仕事に影響が及び、気絶しそうな眠気に午前、午後と2回襲われるようになりました。
なんとなく不安定ながら続いてきた静かな生活が動き出したことで、なぜか私は憂鬱な気分になってきました。そして追い討ちをかけるように、職場でも新しい派遣さんが配置され、その待遇は、私が1年半かけても信頼を勝ち取れなかったものを全て用意されて迎えられていました。新しい派遣さんは元看護師さんで医療の資格があります。だから信用があるのでしょうか。日々の事務的業務については経験が無いようでも、私よりも重要な仕事を任せられています。そんな、会社の対応が、私の仕事に対するやる気をなくしていきます。
日々、仕事はあります。だけど私の役割って何だろう?私のしてきた事は何だったのだろう?
そうして考えていくと、私は何一つ物事を達成していない、みんな中途半端で終わってしまって、私に残されているものは、病気とその記録を書き記したこのブログくらいしかないではないか…と空しくなってしまいました。
積み重ねても、様々な事情でその先にステップアップできない人生。やりかけたまま、先に進まざるを得ない人生。何も成し遂げられない人生…。ただ、生きてるだけ。
そんな話を主治医にしました。とても話が長くなってしまいました。
私があまりに落胆しているように見えたのか、それとも主治医の優しさからなのか、こんなことを言われました。
「何もできていないと言われるけれど、お母さんの事で大変な時期に展覧会をしたりしましたよね…。少なくとも大きな仕事を平行して出来ているではないですか」
主治医が2年以上も前の話を覚えていてくれた事に驚きと共に感謝しました。
先生は私にこんな励ましをかけることはめったに無いのです。普段は全く別のアプローチで間接的に気づきが生じるように仕向けるのだけれど、あまりにも何も出来ていないことを嘆くので内心あきれてしまったのかもしれません。
「これまでは生活のために仕事を続けていくことが問題になっていましたが、旦那様の就職でその心配から少しは解放されて、お仕事を含めてこれからのことは時間をとって考えていければいいですね…」
そんな感じの事を最後に言われました。
私の存在価値みたいな事を考えると、生きている価値が無いように感じて、それが生活の変化でわあっと噴出し不安定になっていました。
主治医に心の内を話せたことで、問題は解決しないけれど、少し落ち着きました。
私の気持ちをぶつけられた主治医は、しんどかったと思います。本当にお疲れ様でした。
診察室を出ると、掲示板の番号が消え、私が今日の最後の患者だったことがわかりました。午後7時半を過ぎても都心はまだ日中の熱気が残って蒸し暑い風が吹いていました。