3時間と3千円

雨の中

仕事を早退して、父の入院する病院に様子を見に行った。
母には今月も様子を見に行っていたが、父には電話だけで直接会っていなかった。
病室のベッドに座って雑誌を読んでいる姿を見て、正直その変わりように驚いてしまった。
まるで末期のがん患者のように痩せて人相まで変わり、一回り小さくなって顔色が悪く…それは、途上国の飢餓に苦しむ人々の姿に似ていた。
「大丈夫…?」と私が尋ねると、「大丈夫じゃないからここにいるんじゃないか」と父は笑った。その声は外見とそぐわない程張りがあり元気そうに聞こえた。
ここ2週間、食べ物を戻してしまい、何も食べられない状態だったそうだ。痩せたとは聞いていたがこんなに酷い状況だったとは思わなかった。
地元の病院に行ったが、原因が分からずたらいまわしにされているうち、腹部が膨張していったようだ。
「来なくてもよかったのに…」父はそう言いながら、表情は心細そうだった。母が最近痴呆が進み食事をしたことを度々忘れるようになって心配だという話をした。母が独りになるのが気になって検査入院を迷っているうち酷くなってしまったという。
老老介護…いつか、こういう日が来るだろうと予想はしていた。でも、私の予想よりその日は早く来たようだ。
父の入院は2度目になる。最初の入院はくも膜下出血だった。当時は母も元気で、入院時の世話は母がしていた。今度は母もケアしなければならない。
主治医が鼻からチューブを入れ、胃の内容物を吸い出す処置をするまで、かなり待たされた。その間、私は父と話すことがなくなってしまい、困惑した。無言でテレビの画面を見つめる時間が過ぎていく…。外は日が落ち雨が強くなってきた。
主治医がやってきたのは2時間も経ってからだった。処置をされている父はさすがに苦しそうだった。看護師からは、「これ以上苦しいことはもうありませんからね」と言われた。
処置が終わってから、今後の治療計画を渡された。現在のところ、腸閉塞の原因は分からないという。腫瘍マーカーも反応は無いとのことだ。明日は腹部の血管造影CTをして閉塞箇所を特定出来ればよいとの話だった。最終的には詰まった内容物やガスを排出させた上で内視鏡を入れて原因を特定する予定になっていた。順調に腹圧が下がってくれると良いのだが。
明日の検査結果を見て、主治医から現状と治療計画を説明することになり、妹にメールした。明日は妹が説明を聞きに行くことになっている。
帰ろうとしたら、父が財布から3千円を出して私の手に握らせた。私は、いいよと言って返そうとしたが、「いいから、タクシーに乗って帰れ」といって受け取らなかった。
ぶっきらぼうな、父の気持ちだろうと思って切なくなった。
私はタクシーは使わず、叩きつけるような雨の中をずぶぬれになりながら歩いて駅まで戻った。
こういう時こそ、焦ってはいけない。穏やかに…と念じながら家路についた。