お墓へ続く坂道を…

愛媛の夕方

祖父の法事のため、26日に母の実家のある愛媛に。27日は午後から法事。28日に妹と母と一緒に帰る予定で。
母と妹は1日早く到着していた。
母が車椅子で実家に帰るのはこれが初めてになる。
皮肉なことに祖母の法事が終わった直後、母は脳梗塞で倒れ、左半身が動かなくなってしまった。私にとってはその時以来の母との旅になった。
8月も終わりだというのに、愛媛はまだ蒸し暑い日が続いていた。
夕方、妹と近くのスーパーに買出しに行った時、田んぼの上に広い広い空を見上げた。この町はあの頃と全く変わっていないように思った。
祖父の祭壇に供えるお料具膳の作り方を母から教わりながら、台所に立った。もう、母の手料理は食べられない。母は私たち姉妹に料理を教えることはしなかった。だから、母の味は試行錯誤しながら想像して作るしかなかった。なぜ、母が料理を教えてくれなかったのか本当のところはわからない。
祭壇の飾りには、母が杖をつきながらやってきて、あれこれ注文をつけた。花の飾り方、果物の盛り方、掛け軸の位置…。本当は自分で気に入るように飾りたいのだろう。不自由な身体になってどんなに悔しいだろうかと思いながら、いちいち注文をつける母に鬱陶しさも感じてしまった。
法事の当日には弟も来て、クーラーのない広間で法事が始まった。
母は椅子に腰掛けてお経を聞いた。
お説教を終えてお坊さんが帰る時、何を思ったのか、母は歩き出し玄関の畳の上に倒れこむように座りお坊さんを見送った。
法事が終わった後、兄弟3人で、丘の上にある祖父母のお墓に新しい卒塔婆を立てに行った。
母が倒れる前、この急な坂道を登りながら「次はもうこの坂を上れないだろう」と母が呟いたことを思い出していた。車椅子ではとても登れない急な坂道…母は何か感じていたのだろうか。
暑い中、汗だくになって、やるべきことを終え、喪服を脱ぎ捨て、母の実家の居間の畳に転がった。畳はひんやりと冷たく、日が暮れるまでの少しの間、薬を飲むのも忘れて眠ってしまった。
傍で妹と母が話しているのが聞こえていた。母は楽しそうに笑っているようだった…