母のきもち

2週間ぶりに日帰りで実家に行った。
朝から風が強く寒さが厳しかったが実家の中は暖かく感じた。
すぐ昼食の準備をした。少しカロリーオーバーかとも思ったけれど、なすとトマトのスパゲティと豆腐ハンバーグ半分、さつまいものポタージュ、サラダを出した。いつも父の和食ばかりで飽きているだろうから。もちろんレトルトや冷食を利用して頑張り過ぎないで支度をした。その方がカロリー計算も楽だし私も母も負担が少なくてストレスが減るから。
本当はきちんと作ったほうが美味しいのだと思うけれど昼食だけ1人分材料を揃えたらお金も時間もかかる。すぐに温かいものを経済的に食べてもらえればいいのだと割り切って考えられるようになってきた。まだ少し罪悪感は残るのだけれど…。
母はメニューを全て残さず食べてくれた。スープは気に入ったらしく最後の一滴まで飲んでくれた。このスープは今度もまた出してあげよう。
母の絵の写真を撮る予定だったけれど梱包を解くだけで止めた。外で撮影しなければならず強風で一人では無理だと思った。妹に連絡をとり来週デジカメで撮ることにした。妹は連休は実家に戻る予定だと言っていた。母も喜ぶだろう。父も母も妹を頼りにしている事がよくわかったから最近は否定的感情が収まってきたように思う。私の出来ないことを妹はやっている。母を外に連れ出したり大掃除をしたりその行動力は自立している自信に裏づけされたものだろう。私にはそこまでの自信がないし健康でもない。だから私は私の出来る範囲でやれば良いのだと思うようになってきた。
母に葉書の投函を頼まれた。公募団体の総会の欠席を連絡するもの。少し胸が痛くなった。母の字は大きく乱れていた。片手で懸命に書いたように見える。本当は出席したかったのだと思う。家族の負担を考えてやめたのだろう。葉書ひとつ出すのにも人に頼まなければならない。遠慮しながら生活しているのだ。
実家の周辺の家が売りに出されたり二世帯住宅になっている話を聴いた。親と一緒に暮らすために。「この辺の家は安いから引っ越してくればいいのに」と母は言った。私は聞き流したけれど母の気持ちが解るような気がした。
仕事と介護で疲れきった父は最近母のケアを手抜きしがちだ。母の頼みごとも我侭と映るのだろう。父一人では無理なのは承知している。父もそれとなく私や妹にもう少し母の介護の頻度を増やして欲しいようなことを言う。母はますます自分の願いを諦めなくてはならない。日々を重ねるごとに諦めることが増えているのではないだろうか。好きな絵も人の助けを借りなければ描く事もできなくなってしまった。私たち娘に傍に住んでもっと細やかなケアを望んでいるのだろう。
だけど、私の生活をすぐに変えることは出来ない。私にも家族がある。曖昧な返事をして期待を持たせるのはかえって残酷だ。
帰りの車の中で父は、母の失禁が入院中より酷くなったと嘆いていた。男性に失禁のケアをしてもらうのもするのもストレスが強いのだろう。昨日もベッドに失禁してしまいシーツやタオルケットを替えたのだそうだ。「失禁したのなら言えばいいのに」と父は言うが怒ったように乱暴にケアをされることを繰り返された母は多分父にケアされたくなかったのだろう。出来れば娘に大騒ぎすることなく淡々と優しくケアされたかったのだろう。
すぐ近くに住んでいればと思うけれど、すぐ近くに住んでいてもいつも母のケアを出来るとは限らない。かえって自分を責めて平常心でいられなくなりそうな気がするのだ。
帰り際、父は私の仕事のことを尋ねた。私はまだ仕事に就けない申し訳ない気持ちでいっぱいになった。多分父はお金を返して欲しいのだろう。帰りの電車の中で夕焼けを見ながら劣等感に浸っていた。