仕事のことはしばらく置いておきましょう

最近私は主治医に対して寂しさを感じる。決して冷たくされているとは思わないけれど以前のように親しみや包容力のある優しさを見せなくなったからだ。
私に対して自立を促しているように思う。けれど私はまだ不安から逃れられず主治医に依存していたい気持ちが強い。だから主治医の穏やかだけれど冷静な態度に寂しさを感じてしまうのだと思う。共感してもらいたいと強く望みすぎているのだろう。
今日もいつものようにこの3週間の出来事を振り返って気分の変化や体調について話していた。私はまとまりがなく話し、とにかく私が辛いことを主治医に共感して欲しかった。抑えていた感情をも主治医に投げ入れてしまっていたと思う。
結局また泣きながら話すことになってしまった。涙を零しながら「気分は安定していて、安定剤は減らせています」などど話しているのは本当に滑稽だろう。
主治医は内心うんざりしていたと思う。これは診察の範疇に入らないのだと思うのだ。臨床心理士に話しを聞いてもらい気持ちを整理してから診察をするものだろう。あるいは看護師による予診の時に感情を落ち着かせ診察にのぞむべきだろう。私の診察はいつも準備不足なのだ。手のかかる患者とは私のことだろうと主治医に申し訳なく思った。
仕事を失った辛さ、母との事、手が不自由なこと、将来の不安…とりとめもなく泣きながら話していた。
手が不自由になって元に戻るかどうか分からない不安から自分の仕事は限定されてしまうだろうという話をしたとき、主治医は「手の回復と仕事を決めることはしばらく置いておきましょう」と言った。
病を持って働くことにはいくつもの障害が待っている。通院で欠勤が多ければ周りに迷惑をかける。その前に心の病に対する偏見から病を偽らなければならない苦しさがある。嘘で塗り固めた生活…これが怪我や身体の病気なら周囲も寛容なのに、心は見えないだけに誤解され恐れられてしまうから…。
主治医は「治療はこれからも必要です」と言った。その言葉が重い。。。
私は焦っている。冷静に考えれば夫や家族に頼る事だって出来ることは誰が見ても可能なのに一人でなんとかしようともがいている。時間が必要なのだろう。不安が過ぎ去るのをじっと待つ時間が。
私は主治医から「辛かったのですね」「大丈夫ですよ」という言葉を期待していたのだと思う。けれど主治医はただ私の話を黙って静かに聴いているだけだった。
寂しかった。哀しかった。だけどこの不安は自分でしか解決できないのだということを主治医は無言で示したのだろうと思った。自分の中の力を信じて自分で自分を大丈夫だと励ましていかなければ治療は進まないのだ。きっとそうなのだろう。
笑顔で処方箋を渡す主治医に、私は身体の力が抜けて椅子から立ちあがるのに時間がかかった。顔は涙でぐしゃぐしゃに濡れ身体は重く心は晴れなかった。
いつもは主治医の言葉を手帳にメモする習慣を今回はしなかった。それ位診察が重苦しく辛く感じたのだ。
自分が乗り越えなければいけない不安の壁の厚さに圧倒されて呆然としていた…。