私がダウン…

実家のソファで、寝汗をかいて早朝覚醒。父も母も寝ている。私は忘れていたデプロメールを飲んで再び横になる。
その後すっかり眠り込んでしまったらしい。母は私が寝ている間に自分で起きてトイレに行ったようだ。私が目覚めた午前6時頃には、母がトイレに行った形跡があった。自己嫌悪に陥る。何のためにソファに寝ているのか。また転んだりしたら…。
朝食が終わると母は公園に出かけると言う。まだ8時すぎだけれど洗濯物を干してからでもいいのにと思っているそばから立ち上がって玄関へ向かう母。私は急いで家中の窓を閉め鍵をかけて母を追いかける。
買ってきたケアシューズはサイズがちょうど良く母の足にフィットした。階段を下りるのを介助し車椅子で朝の公園へ向かう。
公園へは5〜6分の距離だと思うが、母が重くて車椅子を押すのも重労働だと感じた。道は平坦ではないから何度も路肩の方に落ちそうになる。道の真ん中を行けば良いのだろうけれど朝だというのに日差しが強く日陰を選ぶと側溝にはまりそうになる。公園のスロープは急で重い母の車椅子が上るのに力を入れて踏ん張る。この公園はバリアフリーではなさそうだ。
母の指示で入り口近くのベンチ脇に車椅子を止めると母は無言で杖をついて立ち上がり歩き始めた。私は母の麻痺側に付き添って一緒に歩く。静かな朝の公園。私は段々と疲れか低血圧か分からないが朦朧として倒れそうな感覚に陥る。ふたりは無言で公園の広場の端をベンチを目印に歩いていく。ゆっくりと。何か会話が交わせれば良かった。でも私は朦朧として母を見守るので精一杯だった。
母の左足が動きにくくなってきたので、途中のベンチで休むことにした。何年ぶりだろうこの公園に来たのは。
広場は大きな桜の木に囲まれている。「ここに越してきたときは細い苗木だったのに、ずいぶん大きくなったね」「春になるとお花見の人がすごいよ…」母が独り言のように呟く。
「昔は子供の声が響いてうるさいくらいだったのに、今は犬の散歩ばかりだ…」
遠くに小さな子供を連れた一組の親子がいる。母は自分が若かった頃を回想しているのだろうか。子供3人を抱えて…辛いことや嬉しいことや色々な思い出が頭を駆け巡っているのだろうか。孫が欲しいと思っているのだろうか。
ダックスフンドがなついていていつも散歩のとき会うんだけど、今日は居ないね。10時ごろ来るんだけど…」
「まだ9時だよ。時間が早いから来てないのかもしれないよ」
「なついているんだよ…あの犬じゃないな。白いから…」
母は母に親愛の情を示すものを励みに単調な日々を過ごしているのだろうか。朦朧とした意識の中で楽しい会話一つ出来ない自分が悲しかった。
母はまた歩き出す。来週、母は退院してから初めての外泊をする。絵の講習会に出席するのだ。私の心配をよそに準備は進められ妹が付き添いで行くことも決まっていた。そのためなのだろうか。黙々と歩行訓練を母は続けた。
母を見守りながら私は何度も気を失いそうになった。ついに我慢が限界になり、「ごめん、ちょっと休ませてくれる?」と母に頼んだ。母はまだ歩きたそうだったが一番近いベンチで休ませてもらった。自分が情けなかった。気が遠くなっていく。私は母の横でベンチにうずくまってしまった。
「気分が悪いなら帰ろうか…」母が寂しそうに言った。
「ごめんね、少し休んだら家に帰ろう」私はもっと歩きたい母の気持ちを支えてあげることが出来ず、力が入らない身体を恨んだ。
広場では消防団の訓練が始まるところだった。ホースが置かれた広場の中央をよろよろと横切り、車椅子を母の傍に押してきた。私はもう体力がついていかず横になりたかった。だけど、もう少しここに居れば放水訓練が見れたかもしれない。なついているという犬にも会えたかも知れないのに…私のせいで母の時間が制約されるなんて悔しい…。
家に戻る帰り道、母は通りかかる家の表札を見ながら、その家の家族の話をした。「みんな変わって行くね…」と抑揚の無い声で言った。
家に戻ると私は洗濯物を干し、トイレ介助をしてから母を椅子に座らせて、ソファに倒れこんだ。意識が朦朧として目を開けていられなかった。
「ごめんね。少し休めば良くなるから。そしたらお昼ご飯作るからね」
「具合が悪いなら何もしなくていいよ。無理しなくてもいいよ…」母は抑揚の無い声で私を気遣う。すまないと思う気持ちが自分を責める。もっと健康なら、もっと精神が強ければ、せっかくのいいお天気の日に母を楽しませてやれたはずなのに…。ソファに横たわりながら私は無力感に襲われた。ああ、私はあてになんてされていない。何も出来やしない。
その日は、その後も2度3度とソファに横たわり立っていられない感覚を耐えながら、母の介助を続けた。もう介護になんてなってなかった。私に出来たのはご飯を出せただけだ。お風呂に入れてやりたかった。母の手は汗疱で赤い湿疹が出来ていた。体が痒いといって何度かタオルで身体を拭いたけれど、入浴した方がさっぱりしただろう。でも妹に入れてもらうからと断られてしまった。悲しかった。私があまりに頼りにならないから遠慮したのだろう。
夕方、父が帰ってきた。夕食を食べていくかと聞かれた。私はもう無力感でいっぱいで早めに帰ると告げた。帰りの電車で重い身体を引きずりながら自分の無力感に情けなくて泣いていた。もっと出来ることがある。してもらいたいことがあるはずなんだ。私が病気だから母は遠慮する。我慢する。それが辛い。
今日、私の母へのケアはなんて貧相なのだろう。珈琲を淹れたこと。食事を作ったこと。洗濯をしたこと。買い物をしたこと。母のリハビリの手伝いをしたこと。母の心をすくいあげて楽しませてあげることなんて出来なかった。あとは朦朧としてソファに横たわりかえって母を気遣わせた。無力感を感じながら視線の先の庭のヤマボウシの花が緑の中に鮮やかな白い花びらを連なっているのを見ているだけだった。まるでCDで聴くようなクリアな鶯の鳴き声が辺りに響いていた。。。