リアルな関わりの希薄感

心療内科の通院日でした。主治医は午前中最後の時間をとってじっくり話を聴いてくださいましたが、何か心にさざなみがたっているような不安定な気分がしました。それは自分の気持ちを言葉に出来ない焦りや物事の理解力が劣っていることからくるものだと思いました。
面接のはじめに私が展覧会の案内状に手紙をつけていたことが話題になりました。私はすっかり忘れていたのですが、前回の予約外で受診したときのほっとした気持ちや病院で展示が出来ることが楽しみなことを小さな便箋1枚に書き添えて出したのです。主治医は「あんなに大変な時期によく展覧会をしようとされましたね」と感心していました。私はそこで少し罪悪感を感じたのです。私の二面性を突きつけられたような。母の介護に苦しみながら一方で展覧会をしようという気分になれてしまう矛盾に。だから素直に主治医の言葉に反応できず言葉を濁してしまいました。
主治医はカルテに書かれていない私の発言や状況をとても細やかに覚えていてその後の私の心の動きに寄り添おうと努力されている気配が伝わってくるのですが、私はその優しさや穏やかさに心を委ねることが出来ないばかりか、前回自分が話したことの意味まで忘れてしまっていました。当然会話は微妙なすれ違いを生じてその場の雰囲気はざらついたものになりました。
母が変わってしまってから、家族と再び関わりを持たなくてはならなくなってから、私は自分の内面を見つめる作業をしなければならなくなりました。逃げ場がありませんでした。介護という行為を通して直接身体にも心にも密着した状態になります。それがとても苦しく辛いことを話しました。実家に帰りたくない、居場所がない、過去の辛い体験を想起してしまう…。母が壊れると同調して私も壊れていくような感じがしていました。物忘れが酷くなり言葉の理解力が低下し言いたいことを言語化することも衰えていくようでした。
そういう状況下で私は軽率な発言をしてしまったと後悔しています。主治医の「母から離れなさい」という言葉の意味を他の方のアドバイスと重ねて話してしまいました。アドバイスそのものと主治医の言葉の意味はまったく違うものであることを私は忘れてしまっていました。主治医の言葉は当時の私の母や家族との距離のとり方が難しくそれが症状を悪化させると判断して発したものでした。それには患者をまず守るという主治医の医師としての責任が含まれている大切な言葉だったのです。
主治医は、言葉の意味を再度説明されました。私は自分の発言に後悔し申し訳なく自己嫌悪に陥りました。そこから私は主治医と話をすることが苦痛に感じていきました。こんなにも恵まれた環境の中で敬愛する主治医と話をすることが出来る…幸せなはずなのに辛くなってきたのです。
薬は前回処方されたメジャートランキライザーの効き目にむらがあり使いにくいということで、同系列の薬へ変更、デプロメールの副作用の吐き気対策のため飲み方の変更がありました。薬の効き目は私の主治医に対する抵抗のような気がしていました。主治医もそのように思っていたので、「同じような薬ですが効く薬を見つけていきましょう」と言ったのだと思います。
先生、ここをご覧になっているでしょうか。私は先生の治療を受けたいし、先生の治療で治りたいのです。先生との会話がずれていくのは私の心に原因があるのだと思います。現実での会話にもっと耳を傾け心に深く刻んで味わうことが出来ていないのだと反省しています。次回はきっと良い面接になるように、現実の世界での体験を言葉に出来るように努力したいと思います。