わたしの中の灯

新宿の空

連休の最初の土曜日、健診結果の説明のための面談をクリニックに予約していた。
午前中の晴天から一転、激しい雷雨になった午後、都心にあるそのクリニックへ再び向かった。サロンのような豪華なあのクリニックだ。
循環器の医師が担当と言う事だったが、名前を呼ばれて診察室に入ると、3月末の健診の時問診をした、あの紹介状の医師だった。先生の方も私を覚えていたらしく、「やあ、どうも」といきなりフレンドリーな対応に少し戸惑ってしまった。
「やっぱり雑音がするのが気になるんですよね」と先生は他の検査結果は殆ど見てない。
「あの…不整脈は、主治医の先生から、お薬の影響もあるんじゃないかと言われたんですけど…」と私は少し自信なく話し始めた。
「いや、そっちの心は僕は診ないからね、心は心でも心臓の方。ちょっと胸診ましょうか」
私の申告は軽く冗談で飛ばされてしまい、聴診器で診察が始まってしまった。今日は面談じゃなかったっけ?
「う〜ん、やっぱりほんの少し聞こえるねぇ。心配するほどではないけど、一応心エコーやりますか?時間あります?じゃ、少し待って4時から20分くらい。また来るの面倒でしょ。ちょうど雨も降ってきた事だし雨がやむまでね」
いきなり、検査することに決まってしまった。看護師さん慌ててスケジュール確認。検査技師さんは苦笑い。「先生は気が早いからねえ…」
待ち時間、血圧と脈拍を測ってみた。まだ高い。どうしてだろう。風邪は治ったのに。
再び名前を呼ばれて検査室へ入り、準備してベッドに寝ていると、検査技師さんが心電図のセットをして身長体重の入力。そのまま検査かな?と思ったらさっきの先生が入ってきてびっくり。え?先生が検査するの?後の患者さんどうするの?なんか先生、すごく楽しそうなんですけど…。
左向きに寝て左胸に超音波をあてる。医師はベッドの右側に座ってモニタは右側。「寄りかかっていいですよ〜」と言われるがなんか変な体勢だ。私は医師に背中を向けているのでモニタは見えないのだけれど、「見て下さい、これがあなたの心臓。これが弁、ちゃんと動いてますよ」と言うので首を回してその画像を見る。画面に規則的に動く物体が見える。これが私の心臓…初めて動く自分の心臓を見た。
「脈早いですね」とまた言われる。「なぜでしょうね」と私が尋ねると「病院だからじゃないですか。こんな雨の日に検査しにきたりするから」(検査は今日突然決まったのだけどな)
しばらく検査は進む。医師はなにかしきりにキーボードを叩いている。
「ああ、やっぱりありますねえ。見てください」と言われ振り返ってモニタを見るとモノクロだった画面に色がついている。「この赤いのが動脈にいく血で、ここが弁、この青いの、収縮した後ぱっとこっちに逆流するの、わかりますか?」動画で見ると、心臓が動くたび弁から血液が送られた瞬間、ぱっと弁を逆流する僅かな青色が規則的にちかちかと見える。
「雑音が聞こえると言ったでしょう、でもこの程度なら問題ないです。聞こえちゃうんだよね。安上がりというか…ははは」先生、とても楽しそうなんですけど。
逆流?って私の心臓壊れてるのか…とふと不安になったけど、これはエコー検査で発見される生理的な弁逆流なのだそうで、トライアスロンみたいな過激な運動をするなら別だけど日常生活には全く問題ないそうだ。
聴診器ってあんまり聞こえないという話を医師のブログで読んだことがあるのだけれど、循環器を専門に診てると耳がきくのだろうか。「聴診器で分かっちゃうなんてすごいですね」とちょっと先生おだてて見た。先生うれしそうに「普段小児の患者さんや重症の患者さん診てるとね…聞こえちゃうんだね。耳が良くて困っちゃうね。職業病だねぇ。でも、これは別に問題ないですからね」先生、調子よくなってきた。
多分、このクリニックにはバイトで来ているのだろう。クリニックの入り口に掲げられたこの医師の経歴には某大学病院の名前があった。普段は心臓血管外科医として困難な症例を診ているのだろう。健診が専門のクリニックでは受診者を患者様とは呼ばずお客様と呼ぶ。医療を必要としない人が大多数なのだ。わたしもその中の1人で、医師は健康な心臓を見て息抜きでもしてるのだろうと思った。
検査はまだ続く。「別に問題はないですが、僕の趣味で全部診ておかないと気が済まないんですよ。気にしないで下さい」その間もときどき画像の説明をしてくれた。
検査には30分近くかかってしまった。先生、満足したように画像のプリントをぶら下げて、「特に問題ないですよ。ただ、1年後フォローアップはするようにね」と言ってやっと終了。
なんとなく、医師に遊ばれたような気がしなくもないが…
でも、初めて見た動く自分の心臓にちょっと感動してた。自分の心音が流れる。鼓動と共に血液が押し出されていく音…。逆流する音がどれなのかよく分からなかったけれど、思ったよりざらざらした音。これがわたしの音なのか。絶え間なく動く私の心臓。ほんの僅かに逆流してるけど「ちゃんと生きてますよ」と身体から言われているようで、不思議と癒された。
私は今まで独りぼっちで真っ暗な中にいて、誰も助けてくれないような気がして寂しかった。
心療内科の主治医は独りでいる時癒されるとあるエッセイに書いていた。それは独りであっても、傍らには誰かの灯があるからこそ安心して癒されるという事を書かれていたのだけれど、私には傍らの灯が見えないから辛いと思っていた。
でも、今日、自分の中にも灯があるのだと感じた。心臓が動いている。休みなく鼓動を打ち続けるのを見て私は生きていることを実感した。私は独りだけれど、私の中の灯が点っている。
こころが悩み頭だけでものごとを考えてきたけれど、その間もからだはわたしを生かしつづけてきた。からだがわたしに話しかける。「大丈夫、生きているよ」
こころとからだが離れていたからこそ、自分の灯を感じることが出来た。
検査が終わった後、来月から通うことになる精神科クリニックへ下見に行った。細い路地を迷いながら辿り着いた場所は、思ったより古くて小さなビルだった。
雨は上がり、日は暮れて、そのビルの3階から洩れる柔らかい光を見上げた。
今日の気持ちを来月の初診の時、主治医に話してみようと思う。独りでも癒された不思議な気持ちを…。