主治医との距離感

コスモス

父の手術が終わった翌日は、自分の通院日で会社を休む予定を入れていた。2日続けて休むことに罪悪感と病院に行かなければならない自分に憤りのような感情を持った。
主治医に会うことで保たれていた安定感を、何故か求めようとする気持ちが湧かなかった。
病院に行くことが面倒に感じられ、ぐずぐずと時間が過ぎていき、予約時間ぎりぎりに病院へ向かった。
父の入院で病院に行く回数が増え、病院、病院、と通うことに苛立ちを感じていた。通院することに疲れてきたのだろうか。病院は病気を治す所なのに、病院に行くことで自分が病んでいることを認識させられ、自分が日常から切り離される。家庭も仕事も、その小さな躓きが波紋のように自分の生活すべてに影響していく。それが堪えられなくなっていた。
しばらく待たされて、主治医から呼ばれた私は、昨日の父の手術の話から話し始めた。けれど心の中が散らかっていて整理できず、とりとめもなくただ、この1ヶ月の話をするしか出来なかった。本当はだんだん気力なく、話すこともなくなった夫とのこと、母の介護を避けようと考える自分の心境、仕事での疎外感、そんなことを聞いてもらいたかった。
けれど、なぜか、その日の私は、落ち着きがなくて、今まで上手くいかなかったことは薬のせいにした。SSRIが自分に合わない、早く服用を止めたいと話した。デプロメールを飲まなくてはならない午後、意識が遠のくような眠気が仕事に支障をきたしていた。社員が増え、自分の仕事が更に少なくなっていく中、不安もあった。副作用と思われる症状は不安を増幅させていると思いたかった。
主治医は、薬の飲み方の変更を提案したが、SSRIを取り除いてはくれなかった。その事が主治医に対して違和感を感じさせて、こころは乱れたまま、診察は終わってしまった。
最後まで、主治医と意見がかみ合わない感じがしていた。それがとても寂しく、空しかった。
診察が終わると、午後の時間は何の予定も無かった。
ふと、父の見舞いに行こうかとも考えて、昼食を摂りながら迷い続けた。時間的には十分間に合う時間だった。
食後、ふらふらと立ち寄った駅前の花屋でパンジーの鉢植えを売っていた。無意識にそれを買い、足は自宅へ向かっていた。こころの中は罪悪感と嫌悪感がぐるぐる渦巻いていた。
今日は、私のための休日。
そう、言い聞かせて、自宅に戻ると、疲れきって横になるしかなかった。良い天気の午後だった。