過食行動の根本は…

ジニア

1ヶ月ぶりの診察日。診察は予約時間より少し早く始まりました。
私も主治医も沢山のことを話し合いました。いつもの主治医と違い、かなり厳しいことも言われました。でも、主治医と話すことで自分の気持ちの整理が出来て心地よい疲労を感じました。
最初に仕事の更新があり、9月まで今の職場で派遣として働くことにしたことを報告しました。仕事内容は管理的な事に移り、自分の判断ひとつでスタッフの評価が定まってしまうので気が重いがなんとか続けたいと思っていることを話しました。
それから、過食行動がまだ止められず体重が更に増えてしまったことを相談しました。
仕事に対する不安、夫婦関係に対する不安、親の介護に関するストレス…様々な不安に耐え切れず、食べ過ぎてしまうのを理性で抑え切れなくなっている今の状態をなんとかしたいこと…。そして体型の変化を認めたくなくて新しい服を買いあさって散在してしまうことも。
主治医はいつもと違ってその表情に微笑みはなかった。穏やかではあるが、やや冷たい印象を持った。私の訴えを一通り聴いてからこう言った。
「一般的に過食症になる年齢ではないと思います。この行動がいつから始まったか振り返ってみましょう」
…年齢、という言葉に私ははっとした。確かに過食症は母親との関係が原因で思春期の女性が陥ってしまう病気…そんな時期は遠い昔の話なのに、何故いま過食なのか…。そして母のことを想った。もう大人の女性として相談は出来ない存在になってしまった母。それを受け容れられないでいる自分のこころを。
主治医は過去のカルテを見ながら、
「水をたくさん飲むようになった頃がはじまりですね。お仕事が決まらない不安を水を飲むことで解消してきた…お仕事はその後決まったのに、症状だけが残ってしまったようですね」
「はい、ただ、水を飲むきっかけは手の麻痺が薬の副作用だと勘違いした時からです。それが間違いだったことが分かった後も職を失って不安が強くて水を飲むことが続いてしまったのだと思います」
「仕事も継続しているし介護の負担も少なくなって、以前より状況は良いはずなのに何かしわよせがあって過食を続けさせているのですよね。実際に過食になったのは、仕事のために診察の間隔を長くした時からですね…」
主治医は私の方に向き直って、私の目を見ながら話した。その目はいつもの優しさに溢れた温かさはなく、むしろ私を責めるような鋭さを感じさせるものだった。けれど、不思議と嫌な感じはしなかった。
主治医の視線は綺麗に磨かれた鏡のように私のこころを映しているようだった。抑揚のない声で質問される度に、私のなかの不安がはっきりと見えてくるようでもあった。
過飲が過食に変わった頃…私は主治医に受診の間隔を2ヶ月に伸ばして欲しいとお願いした時と重なる。それで私は職を得ることが出来たが、受診の間隔が急に伸びたことで様々なストレスを自分で処理できず過食という形で解消しようとしたのだろうか…。
私にはまだ「こころの拠り所」としての主治医が必要だったのに、無理やり離れたことで大きな穴が空いてしまったのかもしれない。そこには食べ物やお金や着られもしない洋服や…そんなものを詰め込んで「自分は大丈夫」だと思い込もうとしたのだろう。
仕事を続けるためにはあまり頻繁に受診は出来ない。けれど、私のこころのためには主治医に話すこと、そこでこころを整理して絡んだ不安の糸を解いていくことが必要なのだろう。
次の診察も1ヵ月後にした。けれど、もしかしたら急に受診するかもしれないし、その方が自分のこころと身体のために良いのだろう。そしてそうすることは決して悪いことではないのだと自分に言い聞かせた。