宛名書き

スティックチーズケーキ

実家に母の昼食の介助のため今年初めて帰った。
実家に向かう電車の中で母から電話があった。予定を変更したのか妹がまだ実家に滞在していて食事の世話は妹がしてくれるからゆっくり来てくれればいいという。ああ、また無駄足を使ってしまったと思ったけれど、お正月だからとチーズケーキとどら焼きをおみやげに持って行くのでまあいいかと気を取り直す。
母はパジャマの上にベストを羽織った姿でリビングの椅子に座っていた。
年賀状がプリントされて置いてあった。妹が母の絵に画像を加工して作ったのだろう。妹は今年賀状を刷ってるからと母が言う。
母にスティックタイプのチーズケーキを勧めた。すぐに手が伸びて必死に包装をはがして食べようとする。
妹が刷り上った年賀状を持って2階の部屋から降りてきた。
「さっきお汁粉も食べたんだよ。これじゃあ夕食は抜きだよ」
やっぱり逆効果だったか…。よく考えてお土産を用意しないといけないのだなと少し反省する。母の食欲は止め処ない。自分の体がどうなるか考えることをやめてしまう。そんな母の姿を見ていると悲しくなる。
妹から母が書いた年賀状の返信はがきを見せてもらった。乱れた字で「元気になりました。今年は展覧会に絵を出します」とだけ書いてある。中には「今年は海外にも出かけて絵を描きます」と書いてあるものもある。「あけましておめでとう」とも「今年もよろしく」もない年賀状…。母は自分が元に戻って以前のように絵を展覧会に出して「先生」と呼ばれる姿を想起してそれだけを知らせたい一心で書いたのだろう。でもただそれだけが書かれた年賀状は何か鬼気迫るものがあって穏やかな新年の挨拶状にはとても見えなかった。
妹は「ぼけてるみたいで怖いから書き直して!」と母に言って新しい印刷された年賀状を渡した。
年賀状は母の絵がきれいに整えられ謹賀新年と新年の挨拶がプリントされ、住所が印刷されてあとは名前を書き込むだけでよいようになっていた。
「名前書くだけでいいから。余計なことは書かないで。宛名書いて」
母は数枚返信の賀状を書いていたようだったけれど妹に回収されてしまいもう一度やり直しをすることになった。
左手が全く利かないので私が左側に座って葉書を押さえて宛名を読み上げそのとおりに母が葉書に字を書き込む作業になった。
郵便番号は間違いなく書けるのだが、漢字が書けなくなっている。私は静かにショックを感じていた。脇に同じ漢字があるのに手が動かないのだ。書けなくてしばらく悩み、私に書いてくれと頼む。私が何も言わずに代筆する…。それを見ながら母は隣でぷっと吹き出し笑いをし涎を拭いた。
一番ショックなのは母自身だろう。情けなくて泣きたいのに笑ってしまう。自分の脳の機能が少しずつ失われていくことを日常のささいなことで認識させられる。なんて辛いことだろう。自分ではどうにもできない厳しい現実を突きつけられて…。
私は出来るだけ普通に代筆出来るところだけ手伝った。母が書けなくなっても淡々としていた。笑い飛ばしたほうが母は楽だったかもしれない。私はそこまでふっきれていないのだと思う。
母は返信が済んだ葉書に印をつけていた。忘れないようにつけるのだと言う。私は胸が痛くなった。母が自分の記憶が異常だと気づいたのは1年半前。その時無数の小さな脳梗塞が確認されたのだけれど母は治療を受けようとしなかった。なぜなのかは今になっては分からない。祖母の法事のためにお金がかかることを心配したのだろうか。父が医療費を払ってくれないだろうと諦めていたのだろうか。。。
父が仕事から戻って来て、母がお菓子を食べ過ぎていることを強く叱責した。
「だから生活習慣病と言うんだろう。俺はもう知らない!」
いつも一緒に暮らしていたらいらいらする気持ちも分かるけれど、母の気持ちに共感できないだろうか。甘いお菓子に依存して不安を紛らせていた母の気持ちに…。
私は母の気持ちが少し分かる気がする。それは同じように経済的事情で父に苦しめられてきた経験を共有しているからだろうと思う。父は自らの態度を改めることはもう出来ないだろう。でも少しでも共感して苦しみを分かち合うことが出来れば、母の食欲は穏やかになるのではないだろうか。
帰りの車の中でもお金の話ばかりしていた父。私たち家族は父のお金の使い方にどれだけ人生を振り回されたかわからない。父の考え方を変えることは出来ないだろう。だから私が父への接し方を変えなくては…。
私は父に借りを作ってしまった。早くお金を返して「父とお金」から逃れて自由になりたいと願った。