電話してくれてありがとう

ここ数日実家に電話をすることはしなかった。
自分に自信がなくて誰とも会話することなく家に篭っていた。
一方でなんとかしなければと求人情報誌を読み漁り履歴書を書いたりしていた。右手はだいぶ回復し痺れは残っているが文字が書けるようになっていた。
早くこの現状を抜け出したいと高望みすれば「健康」の二文字が胸を締め付ける。
けれど私を雇いたいという雇用主など居るのだろうか。登録はしたものの派遣会社からは何も連絡が無い。私など社会から必要とされていないのではないかと不安が襲ってくる。
自分に余裕が無い状態で介護などとても無理なのだ。今までよく持ち堪えてきたと思った。
安定剤を減らして過ごす夕方、家が揺れた。急いで速報を見る。
母は大きな絵を描いている。倒れて怪我していないだろうか。心配だった。
母と話すのは申し訳なくて気が引けた…が電話をかけた。
母が電話に出た。久しぶりに聞く声は少し弱々しかった。
地震は揺れたけれど大丈夫だったこと。今、妹が絵に額をつけている所で明日搬入だという。午前中には弟が実家に立ち寄って海外出張のお土産を置いてすぐ帰ったそうだ。これからはあまり実家に来る機会もなくなると言っていたそうだ。弟も遠方に自宅が在りそれなりに悩んでいるのだろうと思った。
「絵は描けた?」と私は尋ねた。
「いや、だめだね」と母は冷静に答えた。
「でも出すことが肝心だから…」私が言いかけると
「うん、そうだね。今年は出すだけでいいよ」
母は本当は完成した絵を出したかったに違いない。けれど自分が絵を描こうとするといろんな人の助けが必要で、だから今回は諦めたのだろう。本当の母の気持ちは分からないけれど…。
私にもっと余裕があれば母の絵の手伝いが出来たはずだ。こうなってしまったのは様々な要因があるが自分がしっかりしていればもっと早く転職の準備が出来たはずだ。身動きが出来ないまでに放置していた自分の責任が大きい。悔やんでも元には戻れない。
「ごめんね。手伝いに行けなくて」私は母に詫びた。
「いいよ、こっちは。あんた身体は大丈夫なの?薬に気をつけなさい」と母は言うのだ。
私は胸が一杯になった。母のほうが不自由な身体で大変なのに…。
「だいぶ痺れは引いてきたよ。そっちも怪我しないように気をつけて」
「ありがとう。電話してくれて、ありがとう…」
電話にありがとうなんて…辛いよ。今すぐ母の元に行ければいいのに。母のささやかな望みすら叶えてやることが出来ない悲しみに言葉が出なかった。
「気をつけて…」
お互いにそう言葉を交わして電話を切った。
来週は心に余裕を持って母に接することが出来るようになりたい。