夫婦という家族

例えば子供が居ない夫婦でも所得の少ない妻を夫が扶養することが自然なケースは多い。私の同僚もそうだ。話を聴いていると妻は子育てが無い分趣味の時間を持ち、積極的には働いていない。かたや夫は激務で深夜まで働いているがこの夫婦はお互いがその立場を認め合っているようだ。傍から見ていて正直羨ましいと思わない日はない。
私たち夫婦は結婚当初から共働きで、夫は妻を扶養しようという考え方はしていなかった。私もそれなりにキャリアを積んでいたし夫に扶養されなくても生きていけるだけの自信はあった。けれど私の病気がとうとう表面化し仕事を続けていけなくなった時、夫は私を扶養しようとは思わなかったようだ。私は今でも自分の医療費は自分で払っているし税金も保険も夫婦別々になっている。食費も私が負担することが多い。休職したときそれなりに蓄えはあったから健康なときと同様に経済的な負担はしてきた。けれど働けないから蓄えは減るばかりで補填されない。私は休職はそこそこになんとかパートに出ることにしたがとても追いつく金額では無い。夫はどう思っているのだろうか。
夫は私の病気を否認し続けている。失業した夫はいつも家にいるから食費がかさむ。今日も夕食の買い物に行って食費を払うとき、妙な違和感を感じた。
確かに夫の方が生活に掛かる費用負担が大きいかもしれない。家賃や光熱費は夫が払っている。けれど以前夫が失業したときは私が家賃も夫の保険や税金類も払っていたのだ。その時夫は例によって独立起業を夢想し上手くいくはずも無く軽いうつ状態で日々を何もせず浪費していた。私は深夜まで働き精神は病んでいった。今の状態は当時に比べてさらに酷いと言わざるをえない。当時の悪夢が私を襲う。
そもそも病気である妻が働き、健康である夫が失業していて、お互いが共働きと同じ関係でいなければならないことが私には理解できないのだ。
夫は私のことを「虫が良すぎる」と言った。
それは私が至らない妻であるからなのだろうか。子供が居たら変わるのだろうか。病気であるということを否認しているからそう思うのだろうか。
夫はまたわけの分からない夢を見ている。日々それに夢中だ。私は客観的に見て今夫がしようとしている事は上手くいかないと思う。社会はそんなに甘くない。いくら新聞を読んでも経済の動きを見ても、起業にはセンスがいる。夫にはそれが無い。早く目覚めて欲しいと切望している。
夫婦という家族の単位は非常に脆弱であると思う。お互いに他人であり愛情や親密さという曖昧な絆で結ばれているからだ。私がもし治療を受けていなければ多分今生きてはいないだろう。今は服薬によって様々な矛盾を感じないようにしてやっと生きているような気がする。
私たちは夫婦なのだろうか。それすら分からなくなっている。