回復期リハビリ病棟とは何なのか

ブルーのハナニラ

天気は悪かったが、母のお見舞いに行った。ちょうどリハビリが終わる頃、杖歩行の母はいつもより安定感が悪い。作業療法士さんが失禁に気づきトイレへ誘導。私は全速力で着替えを取りに病室へ。着替えをビニール袋に詰め、階段を駆け下りる。母のベッドはアンモニア臭がしていた。リハビリ前から失禁していたのだろうか。作業療法士さんは母の車椅子を持ってきてくれた。狭いトイレの中で着替えさせる。いらいらする。どうして「トイレに行きたい」と言えないのだろう。。。
病室に戻ると私を女中のように指図する。私は怒りが収まらなかった。「そんなふうに看護師さんに言えばいいじゃない。私は女中じゃないよ。自分でやったら?」母はお菓子を食べたい時には自分で動くのだ。動けないのではない、動かないで楽をしようとしてるのだ。母の被害妄想の辛さを理解してもらう為に私は看護師長宛に自分の名前でお願いの書類を出した。私は母のために悪者になったのに。母が何も努力をしないのなら私の努力は、私が被った泥は無駄だったのか…悔しくて泣きたくなった。
カモの居る川の見える廊下の端で、コーヒーを飲みながら母に話をした。失禁の悪臭で病室の他の人に迷惑をかけていること。声をかけてもらうのを待つのではなくて自分からコールすること。土曜日にその話をしたのに、出来ていないこと。失禁のことは文書にして看護師長に届けてあるから、検討してくれるだろうということ。母は自分より自立度の低い人が退院していくのが悔しいと言った。患者の置かれた状況は平等ではない。自立度が低くても介護する家族がいれば早く退院できる。うちは父一人しか居ないのだ。私が一日中見守ってくれるとでも思っているのだろうか。ただ椅子に座ったままで、食事も排泄もベッドへの移送もやってくれるとでも思っているのだろうか。私の努力は徒労に終わるのだろうか。怒りと悲しみが湧き上がってくる。
私は自分が嫌な人間だと思われることを懸念しながら文書を作った。父がやれるはずもないし、他の家族も母の日常を知らないから仕方なく書いた。書きながら辛かった。私を見る看護師たちは冷たくなるだろう。もしかしたら怖がって近寄らないかもしれない。それでもやらなくてはいけないと思ったから、リタリンと安定剤を飲んで作成したのだ。出来る限り事務的に、感情的にならないように。表現も何度も変えた。母の気持ちも代弁するように書いたつもりだ。それなのに…
そうしていると私は看護師長と思われる人から呼ばれた。母を置いてナースステーションへ。文書のことだった。今回の事は看護師側もショックを受けているという。ショックなのはこっちの方だ。母をあんなふうに被害妄想的にしたのは病院の対応の悪さではないか。しばらく看護師側の弁解を聞いた。いま、看護師がこのことでカンファレンスをしていると言う。私も通院歴が長い。夜の病棟が人手不足であることはよく理解しているし一人の患者に時間を掛ける事は難しい事も良く分かっている。でも私のお願いはそんな難しい事ではないはずだ。そんな長い弁解を必要とするほどのことではないのに。。。これで私は悪者だ。とても悲しい気分がした。でも、夕方に飲んだデプロメールが効いているのか涙は出なかった。結局、インフォームドコンセントがきちんと出来ていないのが原因だった。「あなたの自立度はここまで上がっていますよ、だからこのお手伝いはしませんよ。この部分はまだ不安定だから看護師を呼んで見守りをつけてくださいよ。ここまで出来たら退院ですよ。」こういった説明、コミュニケーションが患者ときちんと出来ていれば、母はなぜ自分だけ看護師が声を掛けないのか理解したはずだ。ムンテラの機会は今までも何度もあった。けれど病院側の怠慢で自立目標の説明も、今日初めて見た最近の自立度のグラフも本人に見せて説明していなかったのだ。これでは、回復期リハビリ病棟に入院している意味がないではないか。
しばらくして、再び呼ばれた。カンファレンスの結果、病室内のトイレの使用を見守り付きで認めることになった。また、被害妄想気味になっている母の心をケアする為に、夜の声掛けは他の患者さん同様するように方針を改めた。私たち家族も母の自立の目標をはっきりさせた。「夜でも杖でトイレに一人で行けるようになること」父はしばらくは寝不足が続くだろう。しかし、ポータブルトイレの洗浄が嫌なのだから仕方がないと思う。
帰りがけ、母に「看護師さんが会議をして、これからは病室のトイレに行けるようになったから。その代わり自分で出来る事はやらなくちゃ駄目だよ。どうしても出来なかったらきちんと言いなさい」と話した。母はまだ看護師に不信感を持っているようだったが、しばらくは対応が変わるだろう。
退院まで、あと10日と言われた。来週は主治医のムンテラがある。私は自分の診察を済まして母の病院に駆けつけなくてはいけなくなった。辛いのは退院してからだ。今から負けていてはいけない。強くならなくては、強く。そう思いながら、私はもう死んでしまいたいと思った。