痛みの信号

出社はしたものの、昼食後から再び左下腹部に激痛。痛みに耐えつつ仕事を終える。
会社のスタッフは仕事のストレスかと心配してくださったが、「違いますよ、昨日病院へ行ってしまったので疲れが出たんです」と笑ってごまかす。
立っているのが辛いほど痛むので近くのスタバでチャイラテを頼み薬を飲む。しばらく身体を折り曲げてソファにうずくまって考えていた。
主治医は「私は母に何もしてやれなくて辛いこと」と「私は無力で存在価値の無い人間である」ことは違うことなのだと腑に落ちるといいのですが…と言っていた。
冷静に考えれは全く違うことなのだけれど、いまの私の中では繋がって意味を成している。「私は母に何もしてやれないから生きている価値は無い」と。切り離して考える事は、諦めることだと思う。いまの私の心の中ではまだ深刻な現実を受け容れるだけで精一杯だ。でも刻々と退院の時が迫っている。静かに速やかに穏やかに諦めて前に進まなくてはならないのだ。
母の病気のために私の病気の要因のひとつであろう家族と再び関わらなくてはならなくなり、症状は悪化した。家族に対する様々な感情は面接のたび主治医に向けられ、面接を重ねるたびにその感情は激しくなり、主治医は転移を受け止めきれなくなってきたのではないかと思った。だから先日の面接で主治医は距離をとったのだと思う。私は主治医への依存が外れた感じがした。とても寂しい気持ち。当たり前のことだけれど、主治医はひとりの医師であり、それ以上でもそれ以下でもないのだ。いや、依存はまだ残ってはいる。思慕のような形で。でもひとまず激しい感情を向けて退行していくのは止めたいと思う。いま乗り越えるべき事は母を支える体制をつくること。そのためには家族との関係をどんな形でもいいから再構築する事。それも一人で抱えるのではなく、家族で、社会で抱える事を納得して受け容れる事。
「10%でも余力を残しておかないと、長期戦ですからね。無理をすれば腸に出るか、あるいは別の病気という形で身体に出てきますよ…」
先生、その通りになってしまって、痛みと悲しみと共にいます。身体の異変は鈍くなっている私の心に信号を送ってくれているのですね。。。
結局痛みに耐え切れず、夕食は食べないで就寝した。