届かない…

cube chocolat

お見舞いに行くのには準備をして、帰りが遅くなるから夫に遠慮しながら、なるべく交通費のかからないルートで目的地へ急ぐ。
そこには無気力な母がぼんやりとベッドに横たわっていて、だから沢山愚痴も昔話もちょっと分からない話も聴かせてもらうよ。
母と私が飲み物を手に廊下の隅で階下の川のカモを見て笑ってると、他の患者さんには楽しそうに見えるんだ。「何か見えますか?笑ってるから」と他の患者さんが声をかけてくれる。
洗ったばかりのパジャマに涎やコーヒーのシミを作っても怒ったりしないよ。
私の買ったベストを無理やり脱いで脇を裂いてしまっても繕うよ。
着たいベストがあるなら買ってあげるよ。
でもね、本当は悲しいんだ。
頼まれたことは叶えてあげる。少しだけでいいからそのことを憶えていてほしい。
無理なんだよね。分かってる。分かってるけど。。。
あの時寒いからアンダーシャツが欲しいって言ったのに、「おかげで身体が火のように暑くていらない」なんて言わないで。「あんたの買ったパジャマはみんな暑くて夜寝られない」なんて、悲しいよ。
あなたの体形は特殊で、その辺のスーパーで売ってるパジャマじゃサイズが合わない。メジャーを持っていってサイズを測って着られるものを探して買ってきたんだよ。値段だって安くは無いんだ。探す時間だってかかってるんだよ。
病院のパジャマは嫌だと言ったのはあなただよ。
寒いから暖かいベストが欲しいと言ったのもあなただよ。
ひとつ、ひとつ、あなたのことを考えて選んで、決して裕福ではない家計から捻出して買ったものだよ。
親切の押し付けだったのかな?
「言ったじゃないっ!」って言い返したい。この気持ち、吐き出してぶつけてやりたい。
でも、あなたは病気だから。そういう病気だから心のうちにしまっておくよ。
だけどね、少しだけ私のことも考えて欲しい。
私も病気なんだよ…
帰り道デパートのウィンドーは明るい春物のディスプレイ。今まで母に掛けたお金で何が買えるだろう…
電車の中から真っ暗な空を見上げて、誰にも向けられない苦しさが涙になって流れた。
介護認定は来週。今はつかの間の猶予期間。
夫のためにチョコレートを買って家路についた。