入院生活のストレス

今日は快速急行を乗り継ぐことが出来たのでことのほか早く病院に到着した。
病室に行くと母はまた寝ている。今日はブルーのアネモネブルースターの花束と長袖の肌着を2着持ってきた。これからまた寒くなるようだから。
これから病棟内リハビリがあって、待っているという。寝ていないで起きていればいいのにと思うが、夜は同室の患者さんがナースコールを何度も鳴らしたり、わめいたりして安眠できないらしい。生活も性格も異なる人たちが病気になって一緒に過ごさなくてはならないことは傍で見るより大きなストレスだろう。母は内向的な性格だから発散できなくて苦労してるのだろうな。
しばらくして看護師さんが来て、病棟の廊下で歩行訓練が始まった。私は後ろで母の歩行する姿を見守る。まだ段差に上手く足を運べない。麻痺側の足が歩いているうちに内側へ曲がっていく。母の表情に明るさが無いのが気になった。
リハビリが終わり、夕食までの1時間、廊下の端でいつものカモ観察コーヒータイムになる。段々日が長くなって川も明るい。私は母が一生懸命口を動かして話すのを聴いていた。この間と同じ話の繰り返しは根気よくもう一度聴いて少し言葉を返す。母はその度に笑って鼻水や涎を流す。ポケットティッシュを2回取りに病室に戻った。私は病棟の床に腰をおろして車椅子の母を見上げる。洗いすぎて肌が荒れていたのでクリームを塗った。さすがSK-Ⅱは違う。あっという間に肌が潤いを取り戻す。これは母に贈ったプレゼントだった。こんな時に役立つとは何て皮肉なのだろう。
作業療法士さんが、どこか行きたい所に連れて行ってくれるそうだ。どこに行きたいか聞かれて、美術館はつまらないから嫌だと言ったそうだ。家に連れて行ってくれと頼んだら、階段が上れないから無理だと言われた。父の介護認定の手続きが遅くなったから手すりがつけられなくて家に帰れないと不満そうだった。
私は今日は終始にこにこしていた。そして時々冗談を言って母を笑わせた。少し体調も悪かったのだけれど、母の強烈な退院願望が少し穏やかになって安心したからかもしれない。母の話からリハビリ医サイドでもう少しリハビリを続けるように働きかけがあったように感じた。
私は簡単な介助と母の話し相手になるくらいしか出来ることはない。
これから介護認定がある。父とスケジュールの調整をする。話す事をまとめておかなくてはいけない。
色んなことが押し寄せてくる。お前に出来るものかと嘲笑う声がする。
サッカーの試合を見るため早く帰宅した夫から買い物は済んだと電話。
物寂しい駅前のスタバで本日のコーヒーを少しずつ飲みながら挫けそうな気分を立て直す。
生きていればなんとかなる。いま死んだらおしまいなんだ。