不確定要素

この3週間はリタリンでなんとかつないだ感じだった。頭は混乱し、実家も母も自分の家庭も崩壊しかかっていた。そして自分の心も…。
けれど、私は表面的な実生活の問題を話すことに終始してしまっていた。こころの内を話すことが何故か出来なかった。
今思うと、主治医は待っていてくれたと思う。私がごちゃごちゃと瑣末な日常の苦悩を話す間、何度か目を閉じて私の声だけを聴いていた。私がもっと重要なことに気づいてその症状を話し出すのを待っていたのだろうと後になって気がついたが遅かった。
面接が終わって診察室を出るとき、主治医は私の方に体を向けて私をじっと見つめていた。主治医は微笑んでいた。何かを待っているように。でも、私は何も言えなかった。ただ、「失礼します」と言っただけで背を向けた。
診察室を出てしばらくして私はきょう、自分の気持ちを何も話していないことに気づいたのだ。そして焦った。大きな不安に襲われた。私は母の退院に囚われすぎて自分の気持ちを考えてこなかった。主治医はずっと待っていてくれたのに…。
いつの間にか自分がなくなっていた。母のことでいっぱいになって、自分の生活も仕事も全て母の都合に左右される状態になってしまっていた。だから主治医は「不確定なことが多いので薬は動かさないほうがいいですね」と一言いったのだ。
この日に間に合うように急いで年賀状の返信をくれた主治医。32条が早く降りるように忙しい年末に診断書を書いてくれた主治医。穏やかに診察は始まったのに私は自分をなくしてせっかくの貴重な時間を無駄に費やしてしまった。待っていてくれたのに…
もっと苦しい気持ちを話せば良かった。そうやって自分を取り戻す時間を作ればよかった。私はなんて愚かなのだろう。
帰ろうとして、実家にも自宅にも帰る場所が無い気がして病院で動けなくなった。ロビーのベンチに座って段々暮れていく空を見上げた。結局、やっと帰ることができたのは夕方だった。
ごめんなさい…先生。
夜、後悔の念が渦巻いて、なかなか眠りにつくことが出来なかった。