良いお年を!

クリスマスケーキ!

今年最後の診察はクリスマスイブの午後一番目。私は早めに病院に到着し、診察室の脇のベンチでコーヒーを飲みながらメモを読み返していた。私の前に白衣の人が立ち止まる気配を感じて、ふと顔を上げると主治医が立っていた。微笑みながら「こんにちは」と言われた。私はちょっと焦って「あっ、わっ、こ、こんにちわ〜」と慌てて挨拶した。たまに主治医と廊下でばったり会ったりすることがある。余裕がある時は必ず声をかけてくれる。嬉しいけど、少しどきどきする。今日は午前中の診察が予定通り済んだのだろう。これからランチなのかな。
時間が来て名前を呼ばれる。「こんにちは」「はい、こんにちは、どうぞ」冬の午後のやわらかい日射しの入る診察室で、今年最後の診察が始まった。この1年のこころの動きを思い返しながら、ゆっくりした口調で「さて、どうでしたか?」という主治医のいつもの言葉を聞く。
「大変でした…」消えそうな小さな声で私は答えた。主治医は私が話し始めるのをのんびり待っている。
主治医がカルテを読んでいるのに気づいて、神経内科で脳波とCTの診断を受け異常は無いといわれた事をまず先に話した。カルテは共通なので神経内科の医師から主治医へ返信が書かれてあった。「画像で見られる異常は無かったということですね」と主治医は言った。それは、様々な検査を経て心療内科に戻り、再びうつを中心とした治療をしていくことを確認するような雰囲気を感じた。再び治療関係を開始することを主治医が喜んでいるような雰囲気、また会えてよかったというような…それは、私にしても同じ気分だった。医師は自分の受け持ち患者を他科に紹介した後、どんな気分なのだろうかと思った。やはり少しは心配もするのだろうか。穏やかな態度は変えないけれど珍しく主治医に感情の動きを感じたひとときだった。
朝の朦朧とした状況については結局低血圧が原因と言うことになったようだ。昇圧剤を出すことも出来るが主治医としては薬を増やしたくないことと、昇圧剤による副作用もあるので少し様子をみることになった。(実はリタリンを飲んでいることを話したのでリタリンの副作用としての血圧上昇で朝の意識ははっきりするようになっていたことも昇圧剤使用を保留する理由になった)
それから、この3週間の辛い日々を話した。仕事が多忙になったこと。その合間に母の病院へ行ったこと。そのために自分の家庭が不安定になり夫婦関係に亀裂が入ったこと。周囲から通院が長い、薬を止めたらと言われて辛いこと。母を介助する度哀れでいたたまれなくなること。退院後の介護が心配なこと…そして、毎日泣いて死にたくてどうしようもなくなってリタリンを使ってしまったこと。
主治医はひとつずつ、丁寧に話を聞いてちょっとした言葉を返してくれる。夫婦関係が悪化してることに関しては、「旦那さんはすねちゃってるみたいですね」と言って笑った。今まで深刻に受け止めていた夫婦関係の悩み。もう一緒に暮らせないとまで思い詰めていたのに、その一言でふっと気持ちが楽になった。そうだよね。夫は子どもが構ってくれなくてすねてるのと同じ行動をとってるだけなんだ。母がわがままになってしまったことについても「人は病気になるとそのひとの特徴が強く出てしまうのでわがままのように感じてしまうのですね」と話してくれた。そう言われると私だって夫に対して自分の悲観的な性格がうつによって強調されて夫はいつも暗い気分になっていたのだなと思えてきた。
前回の診察時に高次機能検査のレポートを読んでとても参考になって良かったことも話した。私の病的な部分以外に先天的(生育過程で形成されたパーソナリティも含めて)に注意欠陥障害的な部分があることを意識したこと。検査前に成育歴を聞くために母に私の子ども時代の様子を聞き、自閉的な性格が見られたことを認識して、うつだけじゃない障害があることを理解しようとしたこと。その時、私は主治医の表情を見ようとしてはっとした。目を閉じて聴いていたのだ。とても無防備な、でも不思議な優しさが伝わってくるような瞬間だった。嫌な感じは全く無かった。主治医はただ眠かっただけなのかも知れない。でもこれまでの治療者−患者間の歴史があったからこそ、そんな場面に遭遇したのだろうと思う。
躁状態になると言って禁止されたリタリンを使用したことを主治医は咎めなかった。飲んで興奮や不眠はないか尋ね、今飲んでいる薬は随分前に処方した薬なので新しく処方してくれることになった。もちろん、躁状態や意識昏迷などに十分注意し、異常があれば調整や中止をすることの条件付だ。リタリンは治療的とは言えない処方だと私は思う。この辛い状況を人工的に引き上げて元気を出させるだけだ。それでも、「今は必要ですね」と言って私を信用してくれた主治医に感謝した。
最後に来年の仕事の目処が立っていないことを話し、32条の申請が可能かどうか尋ねた。病名のうち、「うつ病」の記載をしているので確実に申請は通るでしょうという返事をもらった。手続きは病院で代行してくれるらしいので、受付で聞いてみることにした。32条は働けるうちは申請することを躊躇していた。だけど母の介護で今後経済的に窮地に立たされることを考えて、そして私が精神障害を受け容れて生きていく決意の印として考えを変えた。それは家族や周囲の人に自己開示をいずれしなくてはならないという意味も含まれている。ますます厳しくなっていくだろう。でも障害と共に生きていこうと決めたのだ。
処方箋を受け取り、席を立って荷物を手に取ったとき、「あっ、今年最後でした。この1年お世話になりました」と感謝をこめて言った。主治医も「良いお年を…」と微笑んだ。「来年も宜しくお願いします」と頭を下げて診察室を後にした。全体的にゆったりした、穏やかな面接だった。気がついたら40分も話していた。この1年、言葉が出にくくゆっくりしか話せない私のペースに寄り添い一緒に病気と向き合ってくれた主治医。本当にお疲れ様でした。ご家族と楽しいクリスマスを!年末年始は急患が少ないといいですね(笑)成長の遅い患者ですが来年も先生が笑顔でいられるように努力します。良いお年をお迎えください。