構わないで!

病院に着いたのはもう午後5時を過ぎていた。少しでも早く到着する為、いつもは使わないルートを使って辿り着いた。それは私にとって強いストレスだった。あの路線は今でも気分が悪くなる位嫌な思い出しかない。それでも早く到着したいからその路線を使った。病室に入ると父が母を車椅子に移乗させているところだった。もう、食堂に行くらしい。私は急いで持ってきたシルクのベストを見せて母に着せた。母は「あたたかいね」と言ったけど何かそっけない感じだった。食堂は嫌いだ。患者さんは皆無表情で配膳を待っている。お喋りもなく無言のまま。私は母と話したいけれど、周囲の雰囲気に圧倒されて遠慮してしまう。母はときどき感情失禁のように笑い出す。それが誰かを笑っているように聴こえて感じが悪い。だけどどうしようもない。食事の介助もあまり必要ではなくなってきた。ひとりで出来るようになるのがリハビリ。私はしばらく病室へ戻り、ベッドを整えタオルを替える。母は「もう帰れ」と言う。夫に気兼ねしてそう言うのだろうけれど、まだここに辿り着いたばかりだよ。面会時間は午後8時まであるんだよ。私の顔なんか見たくないのだろうか。段々マイナーな思考が循環してゆく。母は食後の歯磨きで洗面台が混むのが嫌なので皆より早く食事を終え病室へ戻る。歯磨きを終えたらベッドへ移送する。最近、母は一人でベッドに戻れるようになった。腰を滑らして適当な位置に身体を寝かせることはまだ出来ない。横になった母を父と二人がかりでタオルを持って枕の位置まで引き上げる。母は笑っている。私は切ない気分になる。せっかく持ってきたからとコーヒーを飲んでもらった。いつもの甘味料を入れて。余るので父にも渡した。そして私も飲んだ。「おいしい…」母はそれだけ言った。布団を整えてもう帰るのかと思った時、「トイレに行っておこうかな」と母が言うので、身障者用のトイレに連れて行くことにした。また車椅子への移送。私が介助をしようとすると「ひとりでやる。構わないで!」ときつい口調で言われた。私は思わず泣きそうになった。母は上手く立ち上がることが出来ず、またあの笑いが始まる。笑うと脱力するので介助して支えようにも出来なくなる。「なんだよ。手伝ってるんじゃないか。笑うなよ」父が口をはさむ。「こんなことが出来ないなんて情けない…」小さな声で母は笑いながらそう言った。私は悲しい気分になる。入院すると決まって母は私の前では我侭な患者だった。がんの時も、胆石の時も。その度に私は惨めな召使いだった。それでも労いの一言が欲しくて、一握りの愛情が欲しくて、母の我侭に従っていた。いや、そうじゃない。母も苦しいのだ。人に惨めな姿を晒している今の状況を認めたくないんだ。だから意地でも介助を嫌がるのだ。そして笑う…。
きょう、母はちょっとした事件を起こしたそうだ。ベッドから手を伸ばして物を取ろうとして転落したらしい。物は散乱し、母は転落したまま起き上がることが出来ず、同室の患者さんがナースコールした。リハビリの後だったので作業療法士さんが婦長さんに呼ばれて叱られたそうだ。本当は自分の力を過信した母が悪いのに…。介護って何なんだろう。介助者はどんな精神状態で居ればいいのだろう。
トイレの帰り、真っ暗な洗面所で同室の患者さんが歯磨きをしていた。つい、明かりのスイッチを入れてしまった。「自分で消したからいいのよ」そう、言われた。「ごめんなさい!」と私は謝ってスイッチを切った。リハビリは自立のため。手を貸してはいけないこともある。でも、でも、人それぞれ介助の要求は違う。難しい。そして悲しい。辛いのは患者さんだけじゃない。介助する側もまた悩み苦しんでいる。
最寄の駅まで父が車で送ってくれた。あの話を聞いた。本当は聞きたくなかったけど、そんなことは自分たちで解決して欲しいけれど、私には話すんだね。私は心配しなくても良いことまで抱えて帰路につく。頭の中がぐちゃぐちゃだった。家に帰れば夫には母が順調に回復していると笑顔で報告しなくてはいけない。
ただ、疲れた。