3週間ぶりの通院。予約時間は夕方、結局一番最後になった。
主治医にはグループ展に参加することは話してあったので、DMを病院に郵送してあった。そこに前回の面接での失態を詫びる文章と、6月は気がついたら約1ヶ月近く働けたこと*1を書いておいた。
医師にとって患者から郵便物を受け取ることは、どんな感じを持たれるのだろうか。主治医に関して私の見た感じでは嬉しそうに見える。いや迷惑なのかもしれないけれど、そのように思われないような態度をとっているのかもしれないが。
前回のパーソナリティの問題について、どうしてそうなるのか、やはり、消化器内科の担当医が、自分にとって苦手な人物の象徴的存在になっているようだと言われた。子供の頃から、声の大きい、怒鳴るように話す男性が嫌だった。それが父親や、その後出会った同じような特徴を持つ男性と重なる。
私は病気や病院に逃げこんで現実から目を逸らそうとしているのではないかと思うと主治医に話した。仕事の辛さ、対人関係の辛さ、夫婦関係の辛さ、それを正面から受け止めようとせず、病気という理由をつけて逃げているのではないかと思っていた。
しかし、主治医はその行動を、心が壊れる(症状が現れる)ことを避けるための手段のひとつと考えればよいと言った。私は正面突破出来るほど心が強くはない。症状が現れて更に苦しむより、一時的に避難してやりすごすこともひとつの方法であると言うのだ。私はいつも駄目な人間だと思っていた。苦しくなると逃げ回っているだらしない人間だと思ってきた。でも、自分の身を守るために逃げても良いのだと言われたことは、私の心を軽くした。
現在薬物療法が上手くいっている。回復しているのではないかと質問してみた。心の中では、一生、薬とは離れられないとは理解していたが、少し期待もあった。主治医が今は度のあったメガネをかけている状態で薬で底上げしているだけ。回復しているか判断するのは難しいと言ったので、それは仕方の無いことだと思った。減薬の難しさは体験済みだ。
前回、主治医が縁の話をしたので、主治医との出会いのきっかけから今に至る気持ちを話した。主治医に出会ったのは本当に偶然だった。この病院には男性と女性(主治医)の心療内科医がいるが、私はもともと近所の神経科クリニックに行くつもりでいた。ところがいくら電話をしても繋がらず、いつも通勤電車から見えるこの病院のことをとっさに思いついて問い合わせたのだ。その日の受付は終了していて次回行くことに決めた。その日受付が間に合ったら男性の医師が主治医となって苦しんだことだろう。しかし本当に偶然に今の主治医の担当の日に初診だった。今でもはっきりと憶えている。細長い診察室の奥の椅子に女性の医師が座っていた。ああ、助かったと思った。とてもほっとして、そして治療を受ける気持ちになったのだと。
主治医はゆっくり時間をとって、私の話を聴いてくれ、それに対して言葉を返してくれた。とても満ち足りた面接だった。

*1:サイドワークの作業時間を日給に換算した