このひとは、本当はこういう話がしたかったんだろうな、ということを再確認してしまった。つまり、私は興味がなくて、共感する力も歩み寄る努力も出来なくて、退屈させてしまっていたのだなと。それはどうしようも無い事で、もう少し気持ちに余裕があったら、さわりの部分だけでも会話がかみ合うといいなとは思うのだけど。あまり思いつめると、別のひとと人が変わったように多弁になるそのひとの様子を、あてつけのように感じたり、ひがんだりしそうだから、自分のペース、自分の能力の範囲で会話できれば良いのだと言い聞かせる。
今日、話すとき、話したい事が言葉として口から出るのにタイムラグを感じた。これが病気の「進行」というものなのか。もしかしたら。