戻ってきた手帳

昨日は介護の無い休日を過ごすことになった。夫は私と距離をとることで私との関係を安定させようと努めているのか、私が家に居るときはバイトや用事で外出するようになった。
ますますひとりで居る時間が増えて気持ちが焦るのを薬で抑える。
私は喫茶店に通う回数が増えた。ひとりで居ると物音が気になり幻聴のきっかけになったりする。頭の中で考えないで外に出なければと思うようになった。
昨日は朝、母がきちんと朝食を食べたか、弟が昼食を温めて出してくれそうか実家に電話した。電話の母はしっかりしていて声は変わってしまったけれど昔の母のように感じてしまい切ない。「大丈夫」という母の言葉に一応安心して電話を切り、一泊の荷造りを解いて、持って行くはずの有機栽培の煎茶と糖尿病食のパックを取り出した。
散歩やシャワー浴やいろんなことを予定していたのが急になくなって気が抜けてしまった。
求人のチラシを見て過ごす。色んな事が上手くいかないけど、ここのところ安定しているのは、夫に「この先どうなるか」なんて不安にさせる話をしなくなったから。もう「今を生き抜ければいいじゃないか」と開き直って居る訳ではないのだけれど、人工的に躁状態になった心はマイナス思考を切り落として私を眠らせようとする。
だけど…「いい方に考えればそのようになる」ことばかりが目立つだけ。本当は辛いことを踏みしめて生きてるんだと感じる夕方。私は手帳を持って喫茶店に行くのだ。
「こんばんは」「お決まりの頃伺います」「ありがとう」「スコーンのセットを、珈琲はブレンドで…」「かしこまりました」…
これでも少しずつスタッフの方と話せるようになった。元々は早口のお喋りで好奇心旺盛だった性格が、何時からだろう何も感じなくなってしまった。ここに来てはじめは流れるクラシックやジャズの音にも涙が溢れた。声が出なくてメニューを指し示して注文したこともある。今では、特別な日のお菓子を教えてもらったり、アイス珈琲の作り方の違いを説明して頂いたり、私にとっては貴重な人と触れ合う時間なのだ。
手帳にはその日思ったことを書き留めておく。まるで日記だ。だからいつも持ち歩くのに昨日はぼんやりしていた。いくら心を底上げしても空白になった予定を埋めるものがなくて、いつものマイナスパターンに落ちていった。
何か読めばいいのに。誰かと話せばいいのに。気力が湧いてこなくて、そして手帳を持ったまま固まってしまっていた。夜になってお客は帰っていく。それぞれの居場所に。
私は幽霊のようにデパスを水で流し込み、遅くなりそうな夫は夕食が必要なのかすら連絡もなく、とりあえず喫茶店を出た。
そこで手帳を鞄に入れるのを忘れたらしい。
気づいたのは今朝になってから。多分喫茶店だと分かっていたけれど不安だった。もしも無くなっていたら…私のこころのカルテみたいなものだから、取り返しがつかないものだから、残念で悲しいだろうと思った。
開店の時間を待って電話してみた。すぐに私だと分かったようだ。「届けようと追いかけたが見失った」と「お預かりしています」と…。
私の手帳は珈琲の香りの中で一晩過ごした。私に何かを訴えようとしたように感じた。
過去を振り返るのを少し止めて、一日くらい明日を夢見てもいいのではないかと。
昼食の時間に喫茶店に行って保管してくれたスタッフにお礼を言って手帳を受け取った。こんなに重かっただろうか。こんなに重いものを引きずっていたのか。
お礼のつもりで喫茶店で食事をした。珈琲もおかわりして、置いてあった絵本を開いてみた。
薬が私を持ち上げている。膝の上の手帳はその重さで私を身軽にしようと促している。近いうち私は古い日記を別のファイルに移すだろうと思う。明日、私はまたひとつ歳を重ねる。暑い夏のさなかに重ねるのは歳だけでいい。古い記憶は傍らに置いて、新しい私に会いに行こう。