歩行介助と認知症

母のお見舞いに早めに行く。休みの日には歩行練習が出来ないので誰か介助に来て欲しいと言うのでそれに応えた形だが、何となく釈然としない。どうして私なのか。そして母は私は頼みもしないのに見舞いに来ている程度にしか思っていないことが態度で分かるのが辛い。母は昼間に見舞いにも来ない妹を頼りにしている。私はどうでもいいのだ。私が何度も通って介助をしていることをもう忘れている。認知症はそういう病気だ。けれど何もしない妹が「外泊」という甘い言葉で母の気持ちを惹きつけ、それを楽しみに待っている母の様子を見る度悲しくなる。
病室から食堂までの歩行介助、薬で意識がぼやけそうになる頭を緊張させて母のペースに合わせるのは、思った以上に神経を使う。段々と疲れてくるのが分かる。「今が伸び時、休み無くリハビリを」という作業療法士さんの言葉を思い返しながら、自分の身体が悲鳴を上げているのを感じる。
父と妹は夕食時にどやどやとやってきて、私の神経を逆なでするような事を言う。昼間、実家に居るのに病院に来ない妹。介助を習っていないからと私が教えてくれないからと逆切れしたように自己流の手のリハビリをする妹。
私は、多分、家族に怒りを感じている。それを抑えているのは私が経済的に自立していないから、自信が無いからかもしれない。でも母の前で怒りを表現して何が変わるだろう。このもやもやしたものをどうしたら良いのだろう。
「花が多すぎるんじゃない?」
妹のこの言葉が私を悲しみの底に突き落とした。持ってきた花は全部私が母のお見舞いの度に持ってきたもの。少しでも華やかにと花を絶やさないようにと。それを一言で突き落とされて、悲しみのような怒りのような感情の塊を抱えて、帰りの電車では何度も気を失いそうになった。