絵の中に消えていく…

天気予報はハズレ。雪の心配も無く予定通り飛行機は飛んだ。機中では母の事が断片的に思い出され悲しくて何度も泣いた。
到着した母の故郷は澄んだ青い空に日射しが眩しかった。駅から美術館へ向かう。もしかしたら最後の展覧会になるかもしれないから。しっかり記録を残しておきたい想いが私を愛媛へ向かわせた。美術館では、出品者が来館したということで、とても暖かく迎えてくれた。絵の前で写真を撮ってくれた。私も自分のデジカメに母の絵と私の作品を収めた。今日は展覧会の最終日で、思ったよりたくさんの人が観に来ている。私の作品にも足を止めて観てくれる方がいて、うれしくなった。
ひととおり、会場の作品を観た後、母の作品の前にあるソファに腰掛けて母の絵を見つめていた。100号の大きな作品が2枚。これは昨年タイの神聖なサルを取材に行って描いた作品。
私はこの取材旅行に誘われていたのに断った。体調が悪かったからだ。母はその時珍しく私に腹を立て機嫌を悪くした。実は母は私に用があったのだということを知ったのはそれから何ヶ月かしてからのことだった。母は結婚指輪を持っていない私に誕生石の指輪を買っていたのだ。それは私の誕生日に母の手から渡された。とても驚いて、母の私に対する気持ちが何故か悲しくて、一緒に旅行に行かなかったことを後悔した。
今、その絵を観ると母らしくない表現や色使いの意味がなんとなく分かる。弱々しいサルたちが一匹もこちらを向かず横を向いてあるいは後ろ向きに描かれ、背景の遺跡の奥へと消えていくようだ。まるで「さようなら」と言っているように。。。
私は母の絵から離れ難く、ずっと母の絵を観ていた。母は私と旅行がしたかったのだということや、その当時から母の病状は進行していたということや、その頃の母にはもう会えないということや…取り戻せない時間が切なくて涙が溢れた。母はこの絵で、この世界にお別れを言いたかったのだろうか。いまの母に聞いても答えてはくれないだろうけれど…
母の故郷は私の故郷でもある。美術館の空間は、都会の慌しさから離れてゆっくりと時間が流れていた。ひとつひとつの作品を丁寧に観ていく人たちの心はとても豊かなのだろうと思った。ふるさとで過ごす時間は疲れた私を優しく抱きしめてくれるようだった。