寂しそうな微笑

今日は心療内科の通院日でした。
この3週間はめまぐるしく心が動いていったので、メモは2ページにもなってしまった。コーヒーを急いで飲みながらメモを読み返し話す事の優先順位を決める。いつも私の話は長くなって他の患者さんに迷惑をかける。今日もその予感がした。
予約時間10分遅れで名前が呼ばれて診察室に入った。主治医の白衣の襟元から上質そうなミモザ色のハイネックのセーターが見えて、ああ、もう春なんだなと思った。今日は立春だ。
「さて、どうでしたか?」
開かれたカルテには2週間前、自分が壊れそうになって受診した記録が残っていた。その後私の心はどう動いていったか、今日はそれを中心に話そうと思った。
母が生命保険の受取人を私にしていた事。それが悲しくて一日中泣いて、どうしようもなくて主治医に電話しようとした事。空とバラのつぼみを見て気持ちが落ち着いた事。その時私は主治医の声だけでも聞きたかった。助けてもらえなくても声だけでも聴ければ気持ちが落ち着くと思ったから。でもその事は話さずに、緊急で診てもらう事は現実的ではないから諦めたと話した。私はもう少し主治医の心の動きに関心を寄せていれば良かったと後悔することになる。
その後、悲しい気持ちは自分のblogで吐き出してお仕舞いにしたと話した後、お気に入りの精神科医の先生のblog*1のエッセイ*2を読んで、自分の苦しい状況を少し違った視点で見つめなおす事が出来たことを話した。「分かりあえないことを分かった」ことで結ばれる絆。今まで理想の家族の姿に憧れてそうなりたいと必死に家族をまとめようと頑張ってきたけれど、それは自分のエゴかも知れない。分かりあえない家族もあって、分かり合えないことを分かったら、そんな家族の繋がりというのもあっていいのだと思ったと。悲しいけれど気持ちが落ち着いてきたと。
主治医は私の長い長い話をじっくり聴いてくれた。カルテの走り書きは欄外にも及び、小さな文字列が何行も書き連ねられた。
それから、母の主治医から今後の治療方針について説明があった日の心の動きも話した。医師と患者や家族は完全には分かりあえないことを心に留めて臨んだので、緊張しなかったこと。無理やり母の全てを分かってもらおうと必死にならず、分かりあえないながらも「なんとかしたい」というお互いの気持ちの繋がりが感じられた事。母の主治医の態度にも変化があった事…。
「自分と他者を異なる個として認識できたということですね」主治医は少し横を向いて壁に向かってそう言った。「他人とは完全には…分かりあえないのかも知れませんね」と少し寂しそうに私に微笑みかけた。そして「分かりあえないというのは悲しい事だけど…清々しい気持ちもしますね…」と静かに言った。私はその時の主治医の気持ちをもっと分かろうと努力すればよかった。主治医は悲しい気分になっていたのだと思う。
私ははじめ、主治医に助けを求めた。でも断念した。多忙な主治医に予約を早めてもらいたい、出来れば急患として診て貰いたいなどという事は無理だと思ったから。余計な迷惑をかけたくなかったからだ。けれど、主治医が急患をぎっしり詰まった予約の中に無理やり入れて診てくれる事を知っている。それは診察中何度となく掛かってくる患者からの電話の応対で分かっていたはずだ。もしも私があの時泣きながら主治医に電話を掛けていたとしたら私は間違いなくその日の夜に時間をとって貰えただろうと思うのだ。それ位、今日の主治医は私のその後を心配していたことが表情や言葉から痛いほど感じ取れたから。
だから、主治医の寂しそうな微笑を見た時酷く後悔した。私は言葉が足りなかった。「先生とは分かり合えていると思っています」とひとこと添える事も出来たのに。今までどんなに主治医に救われたか。主治医は私を分かろうと努力を重ねたことか。「分かりあえない関係」があるのと同時に「分かり合える関係」もある。主治医が言葉に詰まった時、心のうちに悲しみが訪れたのだろうと思うと私は切なくなってしまった。
「今はこれまで苦しかった気持ちが晴れて楽な気分になりました」と話した後で、「でも、あの時はリタリンを夕方にも飲んだからそのせいかも?」と小声で白状した。主治医も私も顔を見合わせて笑った。
それからがやっと診察。コンディションと生活環境についての報告。入浴中の健忘が酷い事や睡眠時間が少ない事は問題だから、アモバンは飲んでみるように指示された。昼間の眠気が無いか聴かれたので時々眠くなると話したら昼の薬からベンゾジアゼピン系を外すか減薬してみるようにと言われた。
主治医は母のことも気遣ってくれた。現在はまだ入院中で、退院までは少なくとも1ヶ月は延期され、見舞いの回数も減らしていることを話した。介護疲れや一人で問題を抱えてしまうことをとても心配してくれていた主治医。「お仕事とお見舞いのバランスが上手くとれるように出来るといいですね」と励ましてくれた。
「気分は楽になったけど、問題は何も解決していないんですよね」と私は半ば自分に向けて言った。主治医が頷いているのが見えた。
結局、私は主治医への信頼感を言葉に出す事が出来なかった。どんなに長い治療関係があって上手くいっていても、「先生と分かり合えた気持ち」を言葉にしないと寂しいのではないだろうか。私は先生を悲しませてしまったのではないだろうか。
診察が終わった後、主治医は丁寧にカルテを閉じて終了した山に重ねて置いた。私は荷物を持って退出する時、もう一度振り返って主治医に「失礼します」と言った。主治医は次の患者さんのカルテをデスクに出していたが、私の方に向かって「お大事に」と言ったように聞こえた。少し寂しげな小さな声だったから良く聞き取れなかった。
診察室を出た私は、後悔の気持ちでいっぱいだった。
先生、また50分近くかかってしまいました。そして先生を悲しませてしまった気がします。分かり合えないのはやっぱり悲しい…私は先生と分かり合いたいです。こんなに私のために心を砕いてくださっているのに、私は感謝の気持ちを伝えられなくて…本当に後悔しています。私ってなんて馬鹿なんだろう。。。