お母さんのところに行きなさい

良い天気で暖かく、病院に行くと母は妹とバルコニーでいつものように川のカモを見ていた。ここの病院は、休日にロビーでコンサートをしたり、ボランティアが花を飾ったり、そういうことがなくてアメニティは充実してない印象がある。食堂でもぼんやり相撲を見ている人がいたり、せっかくの休日なのに。
母の病室の同室の女性は、母と同じ片麻痺意識障害はないのだけれど、半側空間無視があり、左半分が認識できない。ベッドに戻りたいのによく見えないといって悩んでいる様子だったので、「看護師さんを呼びましょうか」とたずねたら、「看護師さんに頼んでも自分でやりましょうと言われるの、あなたはお母さんのところに行きなさい」と言われた。寂しそうな目をしていた。私は厚かましくお世話するのも悲しいと思い、「ありがとうございます。気をつけて」と言って母の居る談話室へ向かった。それぞれの患者さんが障害と向き合って闘っているのだ。もっと医療スタッフにあたたかな心遣いがあってもいいのにと思った。
母は早く家に帰りたいらしく、リハビリを頑張っているのだと言う。本当はまだ障害を受け容れる気持ちになれず、リハビリで動けるようになれると信じているのだろう。私たち家族は、母の気持ちがゆっくりと障害と向き合えるように余計なことは話さない。でも、立てるようになったね、トイレに行けるようになったねなどと、出来るようになったことを喜んで見せて、気持ちが前向きになれるように見守る姿勢でいる。
母が倒れてから1ヶ月が過ぎようとしている。母を囲んで、いままでばらばらだった家族がいろいろ話し合う機会が増えた。それは私にとっては大変なストレスでもあるけれど、本来の家族の姿を垣間見るときがたまにある。それぞれ考えていることは違うけれど、母に対する態度はなんとなく一致してきたように思う。
今日は妹と夕食を一緒に食べて、お互いの考え方を整理した。妹もフルタイム勤務の中で実家に帰る回数を増やし、会社帰りに母を見舞ったり、父に気を配ったりしているそうだ。妹も努力している。私だけ大変ではないのだ。実家に母が帰ってこれるように要らないものを整理しているそうだ。私も時間を空けて手伝いに行かなくてはと思ったけれど、介護用品をもう買おうとしていたので、それは診断が確定して行政から助成が受けられるようになってからでも遅くはないという話をした。まず、いろんな制度があることを調べて、ソーシャルワーカーさんに相談してからでも遅くは無い。慌てて自費で用意をすると損になることもあるから…そんな話をした。父も妹もせっかちだから、私は慎重で判断力がないけれど、こういう時ブレーキ役にはなれるんだと思った。
夫は私が家を空けることが多くなり、食生活が乱れてきている。一人で食事をするのを嫌がる夫。なんとか均衡を保って病気にならないように気を配らなくてはと思う。夫は少し風邪を引いたらしく、テレビの映画を見た後、早めに就寝した。夫もストレスが溜まっているのだろう。大丈夫だよと穏やかに笑える妻になれるものならなりたいけれど。貯金も体力も精神力も底をついたいま、出来ることしか出来ないし、そのなかでベストを尽くすしかない。