自己開示をどこで行うかあるいは自分語りの違い

夕焼け空

いろいろ考えて不安定になってきた…。
「ブログを書く人はおかしい」と言われるたび、私は心臓の辺りが痛くなってくる。上手い言葉が見つからない。「おかしい」人は否定されなければいけないのか。
リアルに自分語りが出来る人は、よっぽど自分に自信があるのだろう。多分そういう人にはブログもSNSも必要ないのだろうな。
なにか、胸のあたりがすっきりしない気分が続いている。
もちろん、私は賛成も反対もせず、ただ黙って仕事を続けているだけ。

薬局が変わりました

クリニックへの転院に伴い、薬局も変更した。都心なのに近隣の薬局が少なく以前よりも小さな薬局を選ぶしかなかった。処方は以前と変わらず、同じ薬なのだけれど、薬袋が紙製で湿気が心配なのと、特にリタリンが個包装なのはいいけれど包装紙にいちいちリタリンと印刷してあって苦笑してしまった。これでは絶対に包装紙を職場のゴミ箱に捨てるわけにはいかない。
現在も消化器内科でお世話になっている薬局は病院の前にあり、薬剤師さんがその後の症状や変わったことなど聞いてくれたが、今度の薬局はあっさり会計をしたらおしまい。なんか、損した気分…。
久しぶりに現在の処方を書いておきます。薬がどんどんシンプルになって来たな、と感じます。良くなっているかは別として、これだけの薬で安定しているのは、精神療法の力でしょうから、転院しても主治医を追いかけて行ったことは正解だったのだろうと思います。

先生、お大事に。

もりのトンネル

先日、市役所で自立支援医療制度の通院先変更届けをした。今までお世話になった病院から新しいクリニックと薬局へ。今日はそのクリニックでの初診の日。
クリニックは夜間診療もしているので、会社を定時に終えてから向かった。雨が降っていた。
主治医に会うのは1ヶ月ぶり。
クリニックは大きなビルの並ぶ都心の小さな雑居ビルの中にあった。ちょっと狭いエレベーターを降りると自動ドアがあり、中に入るともりのトンネルと呼ばれるまっすぐな木の廊下。まだ新しい木の香りがする。外は雨で暗かったが、ここは心地よい光が満たされていた。
受付も木が使ってあり、温かみが感じられる。初診なので15分前に到着。予約している事を告げて待合室でのんびり。待合室にはクラシックが流れ、開院のお祝いと思われる胡蝶蘭があちこちに飾られていた。
この1ヶ月、はらはらと忙しく、いつも夜には疲れて何も出来ず、メモも作れなかったが、待ち時間に手帳に書き留めることができた。ちょっと受付の方が慣れていないようで話し声が気になったが、それ以外は居心地が良い空間だと思った。
時間になり、待合室の掲示板に私の番号が出て、受付の方が診察室に案内してくれた。
木の扉を開けると、懐かしい主治医が私服のままこちらに向かって微笑んでいた。このクリニックでは白衣を着ない方針なのだな、と思った。私服の主治医を見るのは久しぶりだ。
「こんにちは〜」と私は元気良く診察室に入ったが、主治医のほうは、なんとなく気だるそうな感じがした。声を聞いて具合が悪いのだと分かった。
「すみませんね。きょうはこんな声なので…」主治医は搾り出すようにかすれた声でのどを押さえるような仕草をした。風邪だろうか、声を使うお仕事なのに大変そうだな、と思った。
デスクの上にはパソコンしかなく、電子カルテのようだった。先生、パソコン苦手なのに大丈夫かな…と思いつつ、私の以前の病院の処方がプリントされた紙1枚が出されているのを見つめた。
「さて、この1ヶ月はどうでしたか?」いつものように診察がはじまった。
私は、睡眠障害傾向と体重増加に絞って話をした。本当は職場での複雑な心境など細かなことを解決したかったが、とにかく体重増加が止まらない事や、早朝覚醒、それに伴う昼間の眠気をなんとかするのが先だと思ったからだ。
体重増加については、先月いろんな医師から服用している薬の影響だと指摘されている事を話した。「副作用を主治医の先生に聞いていないのか」と言われたこと。でも、薬はもう何年も変わらず服用しているもので、この1年に限って急に太るのは変だと思っていること。
主治医は、もし体重増加に関連する薬としたら、抗うつ剤しかないが、なぜ、この1年で急激に増えたのか考えてくれた。その中で、水を大量に飲むこと、寝室で寝ないでリビングの床で寝る生活がまだ続いている事を話したら、驚いていた。
「なんとか寝室まで行くことはできませんか?」と言われたが、強迫観念が働いて、起きられないのが怖くて寝室では寝られない話をした。
水を大量に飲み始めたのは、手の麻痺が出てしまった時に、薬の副作用と思って水を飲めば治ると思い込んだことが発端だった。その後も気持ちが落ち着くのでどうしてもお茶や水を大量に飲まないと気がすまないようになってしまった。水を飲む量を減らせれば、それだけでも体重は減少するかもしれないと思うと話した。
眠気はしっかりと睡眠が取れていないために起こるので、休みの前の日くらいはゆっくり寝室で布団で寝て欲しい、と主治医に言われた。
薬については、水を飲む行動を抑えるために、もう少し抗うつ剤を増やす事もできるが、副作用で眠気が増すので難しく、睡眠を深くするのに睡眠薬を追加するのも、起きられない恐怖感を増すことにつながり、難しい。結局現状維持ということになった。
診察は10分程度と話には聞いていたのだが、ゆっくり20分はお話することができた。一応ここでは初診だからかもしれないけれど、予約料を納めておけば時間をとってゆっくりお話も出来るのだそうだ。診察室も落ち着いた雰囲気で十分な広さがあり、横にあったカウチも寝心地が良さそうだった。
次の予約を1ヵ月後の同じ時間に入れてもらった。これで会社を休まずにクリニックに通えるようになった。以前の病院にも少し心残りしていたが、これで良かったのだと思った。
診察が終わって、退室する時に、「先生、お大事に」と声をかけて出た。なんだか立場が逆な気がして可笑しかったけれど、本当に先生、苦しそうだったので、早く良くなるといいと思った。

さようなら、わたしの止まり木

この1年間、散財と時間の浪費に費やした洋服屋さんがある。スタッフさんとは名前で呼んでもらえるほど顔なじみになり、仕事帰りに立ち寄る癖がついてしまった。
そのお店が今月いっぱいで閉店になる。
お友達のように仲良くしてくれたスタッフさんともお別れ。寂しい。
仕事で疲れてボロボロになってる時でも、素敵な服を選んでくれて元気が出た。その服を着て仕事に行くことで、辛い通勤も頑張れた。なによりスタッフさんの笑顔が好きだった。
私の浪費は減るだろう。帰宅時間も早くなるだろう。だけど心が満たされない。
あの場所で、私は笑顔を取り戻せた。あの場所でほっと一息つけた。
来月にはなくなってしまうんだ…。
みんな私から遠ざかってゆく。良い気分は長く続かない。これから私はどうやって頑張っていけばいいのだろう。薬だけではとても解決できない。こころに穴がたくさん開いて私の中を風が抜けていく。むなしい…。

緊張と弛緩の1週間

ディモルフォセカ

私の部署では、先月また1人社員が退職した。今回は欠員を派遣で穴埋めすることなく、新しい月がスタート。同時に私は社員が受け持ちだった仕事をシフトを組んで入る事になり、社員の使用しているシステムとデータベースにログインするための手続きが至急になされた。
今週はその新しい仕事が始まって午前中はその仕事にかかりきりになった。覚えなくてはならないルールが沢山あり、脳がパンクしそうだった。午後は本来の自分の仕事をこなす。午前中の緊張が緩み、疲れも手伝って仕事の処理スピードが急速に落ちてくる。夕方には目を開けているのも辛いほどくたくたになって仕事にならない…。
これからもこんな日が続くのが苦しい…でも働かなくてはいけない…。
派遣の営業さんがやってきた。更新の意思確認のため。もう続ける自信がなくなりつつある…けれど働き続けなくてはならなくて、更新を申し出た。多分更新されるだろう。9月まで…頑張れるだろうか。

母が泣かなくなってから

遅れてきた私を、母と妹は出口で待っていた。私は結局この連休、実家には帰れなかった。何か用があったという訳でもなく、足が向かなくてぐずぐずしているうちに時が過ぎてしまったのだ。
母は、以前とそれほど変わった様子はなかったが、私の夫のことを気にかけてるようだった。「一人で展覧会なんか観に来て怒っているんじゃないの」と無邪気に聞いてくる。母が入院した頃、夫婦関係が冷え切ってしまった。実家にかかりきりだった私を夫は理解できないようだった。それで何度泣いたことか…今はもう涙も出ない。
私は母には夫が失業中のことを話しておいた。多分深刻には受け止めないだろうと思ったからだ。私は話すことで少し気分が楽になる。
その後、親子3人で美術館内のカフェで軽食をとった。母はちょっとしたことでも、吹き出して笑う。脳梗塞になってから母は明るくなった。
入院以前、母はいつも心配性で遠慮深く、物事を悪い方へ考えてしまう性格だった。いつも生きていくのが辛そうだったし、よく泣いて、そしてアルコールに溺れていた。
母の笑顔を見ると、身体の不自由はとても辛いことだけれど、心は自由になれたのかもしれないと思うことがある。今までの人生で失くして来た笑顔を取り戻したかのように。
だけど本当の母の心はわからない。笑うことでしか感情表現が出来なくなってしまったのだから、心の底では泣いているのかもしれない。母の笑顔を見ると、素直に喜べず複雑な気持ちになる。
閉館時間になって、母と妹は美術館へは駅からタクシーで来たのだと知った。確かに地下鉄は便利になったが乗り換えや出口など未整備なところは多い。東京駅からタクシーで2000円程度だと言う。介護にはお金がかかる。でも介護者に負担がかからない方法をとることもまた必要なのだと改めて思った。
美術館の門の前でタクシーの席に母を乗せ、妹と母とはそこで別れた。
親に会うことで私は具合が悪くなるけれど、元気そうな母を見て安心した。会えてよかったと思った。

国立新美術館

国立新美術館夜景

今年初めに六本木に出来たばかりの国立新美術館に行ってきました。
複数の展覧会が開催中でしたがその中の
異邦人たちのパリ 1900―2005 ポンピドー・センター所蔵作品展を観ました。
妹が実家の母を車椅子に乗せて連れてくるというので、美術館で待ち合わせすることにしたのですが、私の気分があまり良くなく、母と妹には先に展覧会を観てもらって、私は遅れて到着し1人で観ました。今日まで夜8時まで開館していたのでチケット売り場で並ばずに済みました。また、障害者は介添え者1人まで無料となります。
ポンピドー・センターには若い頃妹と一緒に行ったことがあります。特徴ある建物と夜間まで開館していて、若い人が作品の前の床に座ったりして思い思いの鑑賞の仕方をしていたことが印象に残っています。
展示はいくつかの時代にわけて、パリを拠点に活動した、または影響を受けた外国人作家たちの作品が並んでいました。特に抽象指向の絵画やオプティカルアートなどは興味深く、自分の表現に近いものを感じました。
残念だったのは照明が若干暗い気がしたことです。モノクロ写真など細部の暗い部分が良く見えなかったり、作品に影が落ちていたりするのは残念でした。全体に色彩が暗く感じ、もう少し照明の質を考えた方が良いのではないかと思いました。
2月からの長期展示という事で、関連グッズが充実しているのは、私は興味ないのですが良いことだと思います。Tシャツなどでアートに親しむのもいいものです。
この展覧会は5/7までですので、興味のある方はお早めにご覧下さい。